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Help Your Imagination!

第2章  政治経済・世界情勢






   金密輸摘発に思う
   本日の日本経済新聞経済面に、「金密輸額の5倍、罰金に・・」というコラム記事があります。
   密輸といえばつい10〜20年前は、「非合法」「麻薬・覚せい剤」「武器・拳銃」「暴力団」
   というものをイメージしたのですが、最近は、金塊がその代名詞になっております。
   もちろん、日本国の法律(外為法、関税法)を順守し、合法的な輸出入をすることが、
   日本国民として当然の義務であるわけですが、
   そもそもなぜ、金塊の密輸が日本向けだけ行われているか???という事の本質を考えると、
   日本国の法律自身にも問題がある、と思うに至りました。
   この金塊密輸は、麻薬・武器とは異なり、当該貨物自体には非合法性はありません。
   金塊は世界中の価値基準の根本であり、つい最近までは「金本位制」が世界の価値の基準でした。
   つまりは、金塊とは、「いかなる政府にも属さない世界共通の通貨」なわけです。
   米国・欧州を始め、世界中の中央銀行がその「究極の通貨性」を認めるからこそ、
   スイスや米国や英国の地下金庫には数百トン、数千トンの金塊が「最後の通貨担保」
   として眠っています。
   そうです!!世界は、金塊を通貨として認識しています。
   だからこそ、その通貨としての金塊には「消費税」を課してはいないのです。
   そして、唯一日本国だけが、金塊の通貨性を否定し、
   「金塊は商品である=従い消費税を課す」としている、誠におかしな国であるわけです。
   そのおかしな国をターゲットにして、消費税8%を狙って、密輸が行われているわけです。
   もちろん、「密輸=関税法違反」はいけないことなのですが、通貨に消費税を課すという、
   おかしなシステムがある限り、この密輸はなくならないでしょう。
   麻薬や武器は、世界中が悪と認める反社会的物質です。
   でも、金塊はこれからも、世界中の「信用の最終担保」として、善・・なる物質です。
   善なる通貨です。
   これが金塊密輸の本質であることを考えれば、日本の法制度がグローバルスタンダードに合わせて、 
   変化することが望まれます。
   通貨には「消費商品」的性質は全くありません。
   通貨は、消費商品の流通を円滑化する、単なる媒体物なのですから・・・
  
   2017年11月29日



   日本国の国富と 国の借金1000兆円=問題の本質
   国の借金1000兆円は、文字通り「借金」ですが、この問題の本質は、
   今、巷でいわれている「国債の破たん」とか「日本国の破産」ということとは全く異なります。 
   政府・マスコミも、その問題の本質を語りませんので、下記にて説明します。
   この本質は、「借金の返済方法論」ではなく「富の移転」の問題です。
   すなわち、
     *数字の引用根拠は、内閣府経済社会総合研究所国民計算部の「国民経済計算確報」ですが、
      ここでは単純化のために、概算数字を用います。
   (1)確かに、日本国政府の借金(負債)は1000兆円あるが、
    どの法人・個人もバランスシートのほかの側面(資産・対外資産)をもみて、
    純資産・純負債で判断しなければならない。
    その観点から言えば、日本国政府も金融資産+非金融資産は豊富にあり、
    純負債はまだわずかであり、金融純負債に限って言っても500兆円程度である。
    従い、おおよそGDPの1倍程度である。
   (2)他方、日本国民(一般家計)のバランスシートは大きくプラスであり、
    純金融資産は1500兆円あり、純非金融資産(土地・不動産)は1000兆円を超える。
    つまり日本国民は、国富として2500兆円保有している。
   (3)日本国の国富は、政府・企業の金融資産+非金融資産を加え、総負債差し引いた数字でも、
    総計3000兆円ある。
    つまり、「日本国」は極めて健全なのである。
    しかし・・しかし、日本国政府のバランスシートはきわめて不健全であり、 
    おおよそ500兆円の借金地獄なのである。
   で・・・我々日本国民が、強く自覚して、納税者として政府をモニターしなければならないのは、
   「日本国政府は、徴税権を有しており、世界にも例外的に特異な高い相続税率(財産税)を、
   制度化している」事実である。
   つまり・・・ 極めて不健全な借金地獄を、日本国政府が解消しようとすれば、
   その第一として、日本国民から日本国政府への「富の移転の促進化」を画策することが、
   可能な税体系なのである。
   富の移転方法、(すなわち国富の移転)としては、下記の2つである。
   (A)消費税+所得税=付加価値GDPから国が徴収、
    GDPは500兆円とすれば、消費税10%は50兆円(完全徴収すれば)。
    さらに所得税25%は、分配・黒字企業・個人から限定としても30兆円は徴収可能だろう。
    この消費税+所得税は、大多数の国が「妥当」として制度化している。
    フロー税であり、これは毎年毎年の、日本国全体の総付加価値(GDP)をどのように配分するか、
    の問題であり、現行の消費税8〜10%や、所得税20〜30%(それ以上は高すぎる)、
    であれば妥当であろう。
    つまりそれは、毎年のフローから生み出される、付加価値の再分配の問題で、
    日本国民から政府、日本国民富裕層から貧困層へ、
    の再分配として認識される。(累進課税や、生活保護費や、年金もこの再分配に関連する)
   (B)次には、財産税である相続税。
    これは、(A)のフロー税に対し、いわばストック税と言える。  
    相続税を、平均30%取り立てたら、下記の計算が成り立つ。
    国民総国富2500兆円が、30年で世代交代が一巡するとすれば、
    毎年の相続税収入(国民から政府への、富の移転)は、
    2500兆円x30%÷30年=毎年25兆円の税収入となる。
    このストック税の考えの根底には、「国富とは本来誰のものか」という議論がある。
    コモンウェルス諸国は、一般に相続税が無税である。 
    それは、「国富は、本来は国民のもの=政府は国民の公僕である」という考えからであろう。
    政府の運営資金は、あくまで、毎年の総付加価値(GDP)に対する、
    適正比率の税で賄われるべき・・・ということであろう
    その考えで、消費税は日本より高額で、おおむね20%程度徴収されるし、
    所得税も高額で、30〜40%が多い。
    そのかわり、低所得者への富の再分配も、その「フロー税」で賄われる。
    対して日本は、フロー税が低すぎるので、適正政府規模(GDPの2割程度の予算=100兆円)を 
    フロー税ではカバーしきれないので、ストック税や国債でカバーする、
    という方向性が働くのであるが、
    ストック税(財産税)の根底に流れる思想は、コモンウェルス諸国とは異なり、
    「国富は、本来は国家体制・国家統治者のものである」という考えがあると思わざるを得ない。
   さて、本題に戻ると、日本国徴税システムを今後フル活動させれば、
   つまりは、上記(A)と(B)を徹底化すれば、
   50兆円+30兆円+25兆円=105兆円、の徴収が可能となるわけである。
   国の予算を、90兆円まで膨らませても、15兆円のプラスとなろう。
   これが「怖い」という理由である。
   国(国家統治者)は、国民がしっかりモニターしなければ、 
   際限ない、徴税権を行使して、富の移転を、一般国民から国家政府へ行うことを画策する、
   「主体者」に陥りやすい危険性がある。
   つまり、1000兆円の借金が問題になるのでなく、その本質は、
   「政府が1000兆円・・・という不安を助長し、国民から国家政府への富の移転を、
   さらに画策することが問題」なのである。
   
   2016年9月16日



   拝金主義と 資本主義、商社の役割
   昨今の考えさせられる経済事件としては、上海福喜食品での期限切れ肉混入事件があります。
   人間にとって、本当に大事な「安全」「生命」「品質」を軽視・無視して、
   金のため・儲けのために、手段を選ばない拝金主義と言えます。
   過去何回も、人間の欲は無限であり、資本主義の弱点もそこにあると言ってきましたが、
   一向に、そのような経済事件がなくなりません。
   勿論、そのような企業、工場は悪いわけですが、では「なぜそうなったのか?」と考えますと、
   一概に、供給側だけが、「ゆがんだ欲」を持って、需要側である企業が、
   「善良な人間」であったとは、必ずしも言えないかも知れません。
   資本主義は純粋競争原理の下、企業の栄枯盛衰が避けられません。
   誰でも、死ぬことは嫌です。一番強烈な欲は、「生存本能」による生存欲です。
   これは法人でも同じでしょう。
   倒産や解雇、赤字転落は真っ先に避けたい「生存欲」が働きます。
   マクドナルドは、100円マック等々で、
   外食産業として、確固たる地位を得続けたい欲がありますので、
   供給先には、ギリギリのコストで供給するよう求めます。
   しかし、食品企業として、最大のダメージは、食品に毒やウィルスや大腸菌が混入し、
   消費者の生命を脅かすような、食品提供をしてしまうことです。
   ですので、当然ながら、供給先には「コストは最安値、しかし品質は最高品質」を要求しますが、
   それは、自己矛盾であることを、承知しながら要求するわけです。
   品質保全のためには、供給先の製造工程を指導し、管理し、査察するのですが、
   社員を常駐したり、LOTを全数検査したりすれば、「コスト最安値」の理念は達成できません。
   で、しかたなく、コスト最安値で供給する先を「信頼」するわけですが、
   今回の事件は、それが裏切られた形になったわけです。
   強烈なコストダウン要求をされる企業が、それでも生き延びようとする場合、
   「究極な局面」では、企業生存本能が、品質モラルより勝る、
   ということまであり得る、と物語ったわけです。
   弊社は食品ではありませんが、非鉄を通じて、中国の供給者の生産物を、
   日本の需要家様に供給しております。
   需要家様に於かれては、「品質は当然満たされた前提で」コスト追求をされているわけですが、
   そのご要求をしっかりと受け止め、しかしながら、中国工場の生存本能を脅かす、
   限界の「直前」で、その状況を察知して、需要家さまにフィードバックし、
   品質管理へのご信頼を得る作業が、弊社の商社としての、最大の役割と理解して、
   日本と中国の架け橋として、今後も役割を果たす使命を、
   今回の食品事件を通して、感じましたので、久しぶりに雑感を書かせていただきました。
   
   2014年7月24日



   本音の経済学
   民主党政権下、経済もますます悪化し、究極の選択もせず、無策の日本経済は、
   ますますの地盤沈下で、商売や日本経済へのコメントが思い浮かばなかったので、
   筆をとることから遠ざかっておりました。
   昨年末、民主党の大敗、自民党の大勝で、安倍政権が誕生し、
   所謂(いわゆる)「アベノミックス」への期待感から、円安・株高を示しております。
   20年以上に及ぶデフレからの脱却のため、アベノミックスで、
   @通貨供給量の増大、A金融の大幅緩和、B公共事業の拡大により、インフレを起こし、
   年率2%のインフレターゲットを設定して、経済の活性化を図ろうということです。
   ここでは、アベノミックスの本音の経済学、インフレの真理を述べてみたいと思います。
   国家は貨幣を発行しますが、その国家に信用がなければ、貨幣はただの紙っぺらですので、
   無価値と言えます。
   これでは国家は成り立ちませんから、本来は、自らの通貨に対しては、
   全力で信用を勝ち取るような政策が、普通の政策と言えます。
   言いかえれば、自らの国民・海外投資家に対して、日本円を信用してもらう、愛してもらう、
   ポートフォリオで選んでもらう政策を、講ずる必要があるわけです。
   しかしながら、その政策を取ると、
   @日本国家への信用による円高、
   A国民のポートフォリオが日本円保持・預金に向かい、資産のなかで大半を円貨幣資産を保有し、
    其の他の資産への分散をしない結果、デフレが起こる、
   というジレンマが現在の日本と言えます。
   アベノミックスはその逆、究極を言えば、国家信用を意図的に低下させる試み、と言えるでしょう。
   インフレは、一言でいえば、「その貨幣への執着の消滅、失望感の発露」と言えます。
   日本円への執着は、日本円への信頼・信用、、貯蓄への執着、金融財産への信頼、がある限り、
   日本円を手放しませんので、物より円、不動産より円、ドルより円ですのでインフレは起きません。
   インフレが起こるのは、日本円への失望の気持ちから、日本円よりゴールド、日本円よりドル、
   日本円より不動産、日本円より自動車、という、
   人々の気持ちから、必然として日本円を手放して、
   物への需要増大、ポートフォリオでの日本円資産から、動産・不動産への転化、
   他の通貨への転化、という変化によりインフレになります。
   アベノミックスの本音の経済学は、従い、
   「どうやったら日本円への執着を解放させるか」ということですので、
   @国債を極端に発行し、日本国は「返済不能」であると外国人に思わせ、日本円を売らせる。
   A貯蓄は意味をなさないと、思わせるまでに金利をゼロにする。
   Bこのままでは日本円は紙切れになる、と思わせ、人々に、物やゴールドや不動産で、
   財産を保全させるということで、
   狙いは、「日本円への信用をどうやったら失墜させられるか」という経済政策です。
   ある意味、180度の意識転換を日本国民・世界の投資家に求める、
   大胆な試みとも言えるでしょう。
   これは、大恐慌から戦争に突入するときの、ドイツのハイパーインフレ以来の試みですが、
   ハイパーインフレの危険性を、(はら)みながらの荒療治です。
   ひとたび信用の失墜が起これば、2%のインフレなどでは到底すみません。
   30〜40%のインフレになるので、非常に高度な調整を必要としますが、
   歴史上、その調整を、ソフトランディングさせた国家はありませんので、
   今後の動向が注目されます。
   
   2013年1月16日、1月18日加筆



   究極の選択
   経済成長の本質を書いて9ヶ月、日本人が戦後初めて、日本国の存亡の危機に直面する、
   未曾有の大災害に遭いました。
   東京に住む我々は、停電、ガソリン不足、食料の欠如への不安と共に、
   今3月18日を暮らしております。
   経済成長の本質とは『経済成長の本質』で申し上げましたとおり、
   「1日24時間を、より速く、より遠くへ、より多様に、より無駄に、過ごすこと」が、
   経済が成長する秘訣です。
   今、3月18日の東京はどうでしょうか?
   より速くは、新幹線も在来快速も停止、高速道路も閉鎖。
   より遠くへは、ガソリン不足で制限。
   より多様には、野球・サッカーあらゆるスポーツ観戦、音楽ライブの中止、
   動物園・植物園の閉館等々、大きな制限。
   より無駄にも、飲食店・パチンコ・マージャン等々も停電により制限。
   つまり、経済成長に必要なポイントは、ことごとく、何もできない状態になっております。
   人間究極に追い込まれると、やはり一番重要なものを残して、「無駄」を排除することになります。
   食べること(配給してでも生命を維持する)
   寝ること(家が流されて、雨露しのぐことすらできないのも生命の危機)
   着ること(着の身着のままで避難した人達が望むものは、着替え・クリーニングである)
   それと最低限の移動手段、及び体温維持のための暖房用の石油・ガソリンである。
   つまり、明治維新以前に必死に追求していた、
   「安心して生きることのできる、最低限の生活維持・衣食住の保証」に逆戻りしています。
   停電の間、日本人いや現代人全員の、今までのサガ、行為、思想への反省を、
   改めて、感じざるを得ない時間を、過ごしております。
   福島第一原発の放射能汚染は、何とかして、人類の英知で抑えることが可能と信じておりますが、
   問題は、その後の日本人の、究極の選択でしょう。
   すなわち、この期に及んでも、尚、経済成長、言い換えれば繁栄至上主義、
   「1日24時間を、より速く、より遠くへ、より多様に、より無駄に、過ごすこと」を
   際限なく追求しつづけ、原子力だろうが、石油だろうが、資源は使えるものは出来るだけ使って、
   繁栄ーー破滅の道を歩み続け、リスクを持ち続ける選択をするか、
   (それを選択すれば、さらに無駄な消費をしつづけられるし、しつづけなければならない)
   あるいは、原子力の放射能汚染防止のほうが、繁栄・享楽を捨ててでも、価値が高いので、
   現状の電力で満足し、原発は永遠に作らない。
   これ以上の資源消費は、資源が枯渇するので、不可能で行わない。
   従い、色々な無駄な、しかし享楽を味わえる物は諦める。
   その見返りとして、世界平和、環境保護を最大価値とする。
   この2つの、どちらかを選択しなければならない時期に、人類は来ているわけであろう。
   両立はもう不可能である。
   あなたは、更なる繁栄を選び、人類の破滅のリスクも同時に背負いますか?
   それとも、世界平和、環境保護、放射能リスクからの開放を選びますか?
   ただし、それは、大いなる我慢を伴います。
   今の停電のように・・・
   
   2011年3月18日



   経済成長の本質
   日本経済は停滞、中国はGNPで日本を今年追い抜くことが確実視されていますが、
   経済とは、つまるところ、個々人の経済活動の総和ですから、日本人個々人の生活が、
   経済成長に直結するわけです。
   ですから、今後の日本の経済成長は、日本人個々人の「生活」に、
   結局は、その本質を求められるわけです。
   日本人が今後、人口が増加すれば別ですが、1億2000万人として一定であれば、
   個々人の生活の質を、高める以外に、道はないのですが、「生活の質」とは何でしょうか?
   人間は生きるためには、衣食住が最低満たされなければならないので、
   食べるため、着るため、雨露をしのぐため、人間は必死で働きます。
   古代から明治維新までは、衣食住すら満たされることが、やっとであったため、
   経済成長などという、概念以前の問題で、明け暮れたわけです。
   産業革命・技術革新とは、言い換えれば、
   「人間が衣食住・労働のため以外の時間を使えるようになったこと」です。
   そこに経済成長の本質があります。
   江戸時代までは、農民・商人は、朝起きて、粗末な朝食、労働、お茶休み、労働、
   昼食(ない場合もある)、労働、夕食で、明りもないのでそのまま就寝の生活でした。
   人間の消費は、従い、「食」がほとんどで、衣類は合計で5〜10枚、長屋に住んで、
   6畳一間、家族が寄り添って生きるわけで、(ほとん)ど、成長、つまり「余計な時間」はありません。
   さて、現代人は、どのような生活をしているかというと、
   朝起きて、朝食、会社まで移動手段(電車・バス・自家用車)、途中読書ないしi podで音楽、
   労働(遠隔地の客先が多いので電話・パソコン)、昼食は外食、レストラン和洋中の選択、
   海外出張、飛行機・ホテルの使用、夕食のみならず、バー・飲み屋、コンサート・演劇鑑賞・絵画、
   休日には、旅行・ドライブ・ゴルフ・テニス・ハイキング・音楽演奏・読書・テレビ・温泉、
   フィットネスクラブ・動物園などさまざまな施設・手段の利用、
   快適性の追求、夏はエアコン、冬は暖房・サウナ、衣食住の選択拡大、
   すなわち、ファッション産業・ブランドにより洋服を100着購入したり、
   レストランで美食を追求したり、居住場所の複数化・別荘の所有したりすること、
   (つまり無駄の拡大)を行っています。
   一日は24時間、古代人も現代人も平等です。
   経済成長とは、上記の通り、個々人レヴェルで、
   「いかに衣食住以外の時間を素敵に・無駄に過ごせるか」できるかぎりの多様化すること、
   と言い換えることができます。
   現代では、いかに素敵に、無駄な時間を過ごせるかの、
   消費刺激に成功した企業や人物が、成功するわけです。
   i Padは絶対必要なものではありませんが、皆が素敵に、無駄な時間を楽しく過ごせることに成功し、
   「経済効果」が、例えば3,000億円あったとしますと、それはある種のInovationです。
   ただし24時間は不変なので、必ず、i Padを長く使用する人は、
   今まで使っていた「何か別のもの」、の時間を削減しますから、i Padはその何か別のものの、
   マイナスの経済効果も、一緒にもたらしています。
   現代の若者の、24時間の使い方では、通信機器やゲームに偏っているので、
   昔の若者にあった、「何か別のもの」の時間を削減しています。
   それは車であったり、マージャンであったり、飲み屋であったりします。
   車が売れないというマイナスの経済効果と、携帯電話での通信費用・通信時間の増大は、
   表裏一体であったりします。
   石川遼さんの経済効果は、500億円あったら、それは、今までゴルフに興味なかった女性が、
   ゴルフを始めるとか、ゴルフファッションに新規需要が出るとか、
   石川遼さんがCMで宣伝すれば売れるとか、さまざまな「素敵な時間」を、
   新規に、石川遼さんが提供して、新たな需要ニーズを創出しているからです。
   でも、同様に、今までの「何か別のもの」は捨てられています。
   もう結論は出たと思います。
   1日24時間を、より速く、より遠くへ、より多様に、より無駄に、過ごすことが、
   経済が成長する秘訣でしょう。
   日本人は(米国人も含めて)、もう24時間を、これ以上多様に過ごすことの必要性に、
   疲れているかも知れませんし、新たな刺激の余地が、少なくなっているとも言えます。
   それに比べ、中国人やインド人は、まだまだ「衣食住」から脱却している人が少ないので、
   経済成長、すなわち、「24時間を多様に過ごすこと」が可能な余地が一杯あるのです。
   人口が13億人の中国が、1億2000万の日本とGDPが同じであることが、
   そもそも、個々人の経済生活の総和が、GDPであることを考えれば、異常なわけです。
   ちなみに輸出行為は、「他国の経済行為に奉仕すること」ですから、
   輸出行為は、その国においては、労働時間の増大の見返りに、貨幣収入の増加をもたらしますが、
   経済成長の本質である、「自国民の経済活動の多様化」には貢献しません。
   「観光産業」も、他国民への開放の本質は、他国民の経済活動・満足へのサービスの提供ですので、
   輸出と意味は同じです。
   つまり他国の経済活動に、依存しているわけです。
   輸入・海外旅行は、当然ながらその逆ですので、
   自国民の経済活動ニーズがあるからこその、輸入・海外旅行(財の消費)なわけです。
   
   2010年7月16日、7月26日加筆



   適正な政府規模とは?所得税・相続税と消費税
   昨今、景気低迷から税収不足、国債44兆円発行、政府の肥大化、国家財政の破綻、
   等々が新聞紙面を賑わせています。
   国・地方公共団体の借金は、何らの有効策を打たなければ、早晩1,000兆円になるとの見通し、
   これは、国民一人当たり、800〜900万円となります。
   他方、現在の日本のGNP(GDP)は、約500兆円のレヴェルから、20年来変化ありません。
   つまり、国民の富を2年全て費やして、やっと返済できるほどの、巨額の借金があります。
   むちゃくちゃな借金まみれの国家です。
   現実問題、1億2000万人が、「生活」していかなければならないのですから、
   その富を、2年間全て、借金返済に充てるのは不可能です。
   月収20万円の人が、飲まず食わず、20万円全て借金返済することは不可能なように・・・
   世界の常識なら、とっくに破産国家ですが、国が借金まみれなのに対し、
   しかしながら、家計・個人は 健全で、
   現在1,300兆円の資産を保有しておるといわれており、故に、
   国家は、家計・企業・政府の「総合体」であるので、他国からみれば、日本はまだ、
   総合体としては、「黒字」であるとみているため、破産認定を免れております。
   しかし、だからといって、これはとんでもないことで、現世代の放蕩を先送りして、
   次世代・孫世代に、「お前たち頑張ってね」と、お気楽に過ごしている我々の責任です。
   では、なぜ、ここまで政府の赤字が、膨らんだのでしょうか?
   政府は、「公共財の提供」と「富の再分配」が仕事ですが、その仕事のために、
   公務員の給料を、我々が支払っています。
   それを、納税者である我々は、信託して、その費用支出を、国会を通じて承認してきました。
   おおいなる間違いを犯してきたのです。
   「富の再分配」は、冷静に観察すれば、現世代である、同一時系列における分配ですので、
   この支出は、富める家計から貧しい家計へ、富が政府口座を経由して移動した、
   即ち、貧者にお金が移動しただけですので、無駄な公共支出とは見なされません。
   従い、何の問題もありません。
   問題は、「過度な公共財の提供」や、「無駄な公務員の存在」があった場合で、
   それが、国債という借金で補われると、世代間の歪みにつながるわけです。
   では、どの程度が政府の支出として妥当でしょうか?
   私見では、政府は「富の再分配」以外の財政支出は、GNPの10%を超えてはならないと思います。
   つまり、GNPが500兆円であれば50兆円、これが最適規模の最大値でしょう。
   皆さんの周りを見回してください。
   公務員が10人に一人いれば、それは多すぎると思いませんか?
   ましてや15人に一人、どこもかしこも公務員、富を生まない公務員であったなら、
   国としてHEALTHYでしょうか?
   しかして現状は、一般予算90兆円超え、特別会計と合わせると、200兆円にならんとしております。
   つまり、支出面からみれば、納税者5人に対して公務員が2人いる計算になります。
   そして、その2人が、我々から給料を得て、我々並にどんどんお金を使っているわけです。
   これはおかしい!と思いませんか?
   なんで、500兆円しかGNPがないのに、200兆円も政府が使うのでしょうか???
   そんなに公共財ってありましたっけ?あるはずはありません。
   必要ない「偽公共財」が氾濫しているだけです。
   郵政国有化、不要な許認可機関の設置、膨れ上がった役所の屋上屋、無駄のオンパレードです。
   家計・企業・政府のバランスで政府が4割の富を支配するという構図は、
   世界でも、独裁国家・共産主義国家を除けば、稀な存在でしょう。
   まずは、基本的に、江戸時代からの封建国家が続いていると見た方が良いでしょう。
   今、民主党が仕分けで、無駄の削減に取り組んでいますが、
   200兆円規模から、75兆円に、6割程度削減しなければ、本当の無駄はなくならないでしょう。
   で、民主党公約が「首尾よく」「奇跡的に」実現したとして・・・税金の無駄遣いがなくなり、
   「富の再分配」を除いた部分で、公共財の提供を、50兆円に抑えることに成功した後に、
   さらに、増税の必要性を、我々は受忍しなければなりません。
   これ以上、赤字国債を発行することは、現世代が次世代から強制的搾取、
   いや既に搾取していますが・・・ これは極めて不適当であります。
   選挙権もない、いやまだ生まれてさえいない、我々の孫の世代に、
   借金を先送りしているのですから・・我々は経済的犯罪者でしょう。
   政府の支出の荒療治を終えた後は、我々自身も痛みを感じて、唯一の解決策として、
   やはり消費税の大増税、それも15%程度まで一挙に引き上げることが急務です。
   日本のGNP500兆円であれば、15%の消費税は75兆円、 
   消費税は、「現世代で完結」「受益者負担」「平等性ある税金」であり、
   「いま、ここに、すぐ」負担と義務を全うできる、公平な税制でしょう。
   加えてデフレ経済下では、強制的インフレ誘発政策も伴い、
   付加価値の心理的低迷を払拭でき、一石三鳥であろう。
   此処に要点を記述すれば・・・
   そもそも、政府部門は、家計・企業に比して、2割を超えてはならない。
   つまり、所得税にせよ、住民税にせよ、事業税にせよ、消費税にせよ、
   2割以上税金を徴収すること自体が、「非論理的」である。
   従い、税制の原則も、2割を超えてはならず、所得税が40%も課されているのは、明らかに異常。
   40%の内、公共財負担でなく、同世代の富の再分配部分が、20%(つまり半分)もあるはずもなく、
   つまりこれは、「お上意識」の役人による、明らかな「召し上げ」感覚による、
   大いなる勘違い税制であろう。
   日本国が滅亡を避けるためには、即刻、
   (1)支出は、GNPの10%まで(富の再分配5%を加えても15%が限界)
    すなわち、GNP500兆円ならば、50兆円に抑えるべき。
    防衛費・インフラ整備、一般行政サービス等々、
    残りの25兆円は、富の再分配、すなわち、年金・生活保護・子供手当て等々、
   (2)で、75兆円の大半は、直接税である消費税にて、50兆円以上を補い、
    所得税・相続税は、10兆円程度に抑えるべき。
   (3)国債は、即時ゼロにすべき。
   では我々は何をすべきか、
   小さな政府の実現、消費税の導入、と共に「赤字国債」を引き受けない。
   つまり、国債を安易に流通させない、という意識が、国を動かす原動力となるでしょう。
   
   2010年4月12日



   グローバル化のジレンマ、流動性の進展と歪み
   円は85円台に突入しました。14年ぶりの円高です。
   通常は、貨幣の切り上げは、国力の評価が100%反映されるので、
   円が切り上がったのは、「喜ぶべき」ことのはずですが、日本国民の大多数は、憂慮しております。
   これは、なぜかいうと、「流動性」の進展と歪みで説明できます。
   一国の中では、流動性が高まれば高まるほど、経済の需給のバランスも貨幣価値も、
   瞬時に調整されやすいので、流動性が高まることは歓迎されますが、国際社会では複雑です。
   なぜなら、「国家・国益」という、永遠に流動性を阻害する存在があるからです。
   資本主義経済は、流動性の高まりを目標としてきました。
   貨幣の流動性、労働、資本、物流、全ての流動性が求められます。
   もし、世界が、グローバル化の極致として、「完全流動性」が達せられたら、
   全世界の人民が、同じ職種の賃金は同じ、物価も同じ、貧富の差も同じ、教育も同じとなり、
   日本人だろうが、中国人、インド人、アメリカ人 だろうが、
   例えば自動車産業の労働者は、同じ待遇を享受することとなります。
   現実は・・・ 流動性100%ではありません。
   貨幣価値の歪み、賃金の歪み、教育の差、政治体制の差、国益の差、等々で、
   日本人の賃金と、インド人の賃金は、歴然とした差があります。
   しかしながら、世界は、インターネットの普及、資本・労働の移動の自由の進捗で、
   流動性はかなり高まってきました。
   これは、資本主義が常に資本の最大化、最適配分化、を追い求めていった結果の必然です。
   資本主義は、資本・労働・貨幣価値・教育その他の歪みを利用した、「裁定行為」だからです。
   つまり、全世界の人間が、「均一化」に向かおうとしているわけです。
   これは、「富める国」は貧乏になり、貧乏な国は「富める国」、になることを意味します。
   資本の流動性が高まれば、賃金の安い国で、安い製品を製造し、利益を得ようとします。
   労働の流動性が高まれば、賃金の高い国で、高い労働性を提供しようとします。
   教育の流動性が高まれば、頭のよい人材は、世界のいたるところで見つかるようになります。
   つまり、日本からみれば、グローバル化は、「衰退」を意味するところになるわけです。
   資本は発展途上国に流れ、労働は、外国人の安い給料に引っ張られ、賃金が低下し、
   教育レヴェルは、世界最先端から脱落することとなります。
   では、どうすればよいか? 
   難問ですが、結論として言えるのは、自国にとって、
   都合の悪い流動性向上を、阻害する方向性を採った国が、「勝つ」こととなります。
   ドルに強制的リンクしている中国は、「繁栄しているにも拘わらず、人民元を安く維持して、
   繁栄を継続する」し、資源を輸出制限することによって、流動性を下げて、国益を守ります。
   自由貿易主義は、常に保護主義の脅威にさらされているのは、なぜかというと、
   「自分だけ保護主義を貫き、その他の国に、自由主義を強いること」に成功すれば、
   確実に、その国だけ繁栄することができるからです。
   だから、保護主義の誘惑は、強大なわけです。保護主義とは、流動性の意図的な阻害です。
   ただ、また他方確実なのは、「全員が保護主義に走れば」、
   全員が破滅する、ということもまた事実です。
   このジレンマの中で、日本という「富める国」が衰退を避けるのは、至難の業ということです。
   
   2009年11月27日



   資源は誰のものか
   先日、日本経済新聞一面に、米国・EUが中国の資源商品に、
   中国政府が、E/Lでの制限及び輸出税を付加することにより、
   自由貿易を阻害している、としてWTOに提訴した、という記事が載りました。
   マグネシウムも対象に含まれているとのことで、希土類その他、
   中国が、世界市場に、多くの割合で供給している商品が、多く含まれて居ます。
   中国政府の意図は、資源覇権を握った商品において、世界市場への中国政府のコントロールを画策し、
   中国人民のための、資源保護政策であることは明白です。
   他方、米国・EUは、自由貿易により、資源は公平に配分されるべき、との自由主義的立場から、
   WTOに提訴したものであります。
   これには、根本問題として、「資源は誰のものであるか」が内在しております。
   国家は、国益を考えて行動するとしますと、中国政府は中国人民の、
   現在及び将来の生活の向上のためには、中国国内のみならず、世界の資源を、
   中国のために確保する、という国益があることは明らかで、ましてや共産主義計画経済ですから、
   WTOへの提訴は不服でしょう。
   さりとて、中国は輸出貿易立国でもあるので、全く無視はできないでしょう。
   他方、米国・EUが代表するところの、自由貿易にて完全に商品の流動性が確保されたら、
   資源は、市場経済での「価値論」で決定され、より高いお金を払える人々が手にすることになります。
   国益での保護主義と、自由主義での市場経済、どちらが正解でしょうか?
   これは、どちらも不完全といえるでしょう。
   自由主義は、文字通り、「自由」を最大の価値においていますが、人間の平等は確保できません。
   食料に例えれば分かりやすいでしょう。
   タイやミャンマーで米が生産され、自由貿易にて輸出制限が全くなければ、
   最大の価格をつけた人々(例えば日本)が手にすることになります。
   そして、ミャンマーの貧困層は、餓えることも結果としてありえます。
   これは「健全か?」といえば、誰しも健全とは言えないと理解できるでしょう。
   では、逆に100%保護主義がよいかと言えば、それも明々白々で、 
   資源・食料を独占している国が生き延びて、資源食料がない国家は滅びることになります。
   すなわち、両方とも100%は、必ずしも正解とは言えないわけです。
   では、どこに価値基準を設定すればよいのでしょうか?それは、大変難しい問題です。
   国益がぶつかれば、最終的解決手段は、今のところ戦争しかないわけです。
   従い、保護主義は自動的に否定されます。
   では、完全自由貿易は最高のシステムかと言えば、上記食料の例で分かるとおり、
   それも現実的には批判されるでしょう。
   結論から言えば、資源・食料は、「誰のものでもない。人類共通の財産である」ということです。
   たまたま中国に偏在しているマグネシウム・希土類は、人類が平等に分かちあうべきで、
   たまたま米国に偏在している食料は、人類の生存のために公平に分配されるべきです。
   現実は?全く異なりますね。誰でも国益を優先しています。自国の人民を優先しています。
   WTOへの提訴も、中国にある資源を「一番高い価格を提示したものが自由に使うべきである」
   という論理で米国・EUは主張しているわけで、
   マグネシウムを、中国人民が10%も米国・日本より安く買っているのは、
   不平等であると言っているわけです。
   突き詰めて言えば、世界中が自国主義を主張しているだけとも言えるわけです。
   
   2009年6月26日



   中国の無計画経済
   最近のマグネシウム事情を通じて、中国政府の意図、中国経済の行方、を少々論じてみます。
   現在の生産能力は180万トン/年。それに対し、世界需要は40万トン/年程度に減少。
   当然、相場は大暴落でコスト割れ、にもかかわらず、新規投資案件は10万トン規模での案件が進行中。
   これは、GMの倒産、トヨタの過剰生産設備が250万台とも言われ、
   自由主義経済体制では、「いかに過剰設備を作らないか」が、
   最も、生産会社の経営としては重要であるにも拘わらず、
   中国マグネシウム(アルミニウムでもそうであるが)産業は、まるで、
   180万トンの生産能力は無視しているかのようである。
   日本人としては理解を超えているが、中国計画経済としては、下記の理由が挙げられるようである。
   (1)「投資」そのものに価値がある。資金がそこに投じられることにより、
    中国の資産国力が上がるわけであり、それを拒む理由ない。
   (2)とにかく経済成長、8%は国家の至上命題である。そのためには無謀とも言える政策でもOK。
    60兆円の経済支援は、中国の内在する貧困、格差の解決には不可避である。
    経済成長には、投資、消費、公共投資、ありとあらゆる行為が必要で、
    たとえ、無駄と分かっている「穴を掘って、また埋める」行為も、雇用創出という観点からは有用。
   (3)地方政府は、相互間で権力闘争、共産党の出世階段を駆け上がるステップであるため、
    その地方省が潤えばよい、との官僚の論理もある。
    世界経済には、明らかに不要な投資でも、その省の雇用、経済に、例え一時的でも、
    有効である投資は進める、「計画経済」が存在している。
   (4)ゆえに、全体としては資本主義、市場論理を無視してでも、
    巨大投資をする環境に、中国はあるといえる。
    いわば、計画経済下での、「無計画経済」「非市場論理経済」が行われている。
   存在しない需要に対しての、生産設備の正当性は、資本主義ではありえないが、
   「需要の前に生産あり」のマルクス経済と考えれば、納得できる。
   市場論理による資源の最適配分という論理は、中国の場合、当てはまらないと、
   これからも考えるべきであろう。
   しかしながら、日本でも国が介入した事業には、このような論理での無駄の例を、
   枚挙することは容易い。
   予算を消化するために、毎年2月3月に無駄な道路工事を行ったり、
   雇用保険予算が「余っている」との論理で、無駄な箱物をグリーンピアとして建設し、
   30億円の建物を結局、破棄、ないし民間に1千万程度で払い下げたり、
   多くの、「一時的雇用創出」には貢献してきたのも、日本政府である。
   結果、800兆円の借金が残っている。
   中国は、「資源」という観点から、その潤沢な資金を、
   市場論理を無視して投資(リオティント、ライナス等々)しており、
   最後に勝つのは、(資源覇権として)中国であると思うと、資本主義の限界も露呈し、
   どちらが優秀な制度かと言えない、とも思っている。
   
   2009年6月3日



   信用の需要・供給、収縮・膨張
   信用創造も、貨幣(貨幣機能)の供給と需要によって、
   膨張(供給過多)収縮(需要減、供給減)が起こるわけですが、実体経済と信用創造・収縮は、
   『信用創造、信用収縮 ミニユニーク経済学』のように、密接不可分な関係があるにも拘わらず、
   信用膨張とその後の信用収縮は、実体経済とは無縁に始まりました。
   信用供与の基本的問題点は、需要(金を借りる・信用をもらう)主体が需要を作り出すわけでなく、
   亡霊信用創造に於いては、供給者(銀行、証券、OPTION商品、クレジット会社等々)が、
   自ら「需要を作り出す主体者、権利者」であることが、最大の問題点であることです。
   実体経済での需要は、資金の借り手が原料を仕入れたり、製品を販売したり、
   設備投資をするために、「金が必要」との需要の「意志」が明確に存在し、
   その需要(かりに100万円)を、供給者(銀行等)に供給依頼するのが通常です。
   それに信用を与えるかどうかは供給者(信用の売り手)が判断するわけで、
   これは、商品売買と全く同じ信用供与の考え方です。
   しかしながら、亡霊信用創造は、例えばサブプライムローンを例にあげると、
   一個人の住宅ローンであれば、個人(需要)と銀行(供給)の相対取引で、
   信用創造がなされるのに比べ、住宅という物権を、細分化して、「総合債権」として、
   変質操作することによって、需要側と供給側の信用創造過程が、
   同一主体が一体化してしまうことにより、任意の、「望まれない」信用膨張が起きます。
   同一主体であると、供給が豊富であればあるほど、売り手の利益が拡大し、
   需要を恣意的(しいてき)に操作可能であればあるほど、信用創造は拡大します。
   つまり、無限の信用創造が可能となるわけです。
   信用は、需要ニーズ(上記例での実態経済での100万円)の「後に」、「付随して」、
   発生すべきものであるのに、亡霊信用創造は、需要ニーズ(自ら設定できるので)の「前に」、
   「意図的に」、発生可能なわけです。
   実態信用ニーズが、バブリーに上限を迎えてしまっても、さらに儲けたい信用創造主体は、
   「本来借りたくない」「本来返せない」需要も、無理やり自ら創造して、亡霊化しつづけ、
   終焉を迎えた姿が、昨年のリーマンショック、米国の過剰消費構造崩壊だったわけです。
   
   2009年3月10日



   信用創造、信用収縮 ミニユニーク経済学
   昨今の不況は、過去数十年には類をみない、信用収縮に見舞われているからですが、
   その前には、米国の異常なまでの信用創造があったわけです。
   さて、一般的経済学に言われている、信用創造、信用収縮、マネーサプライ、
   用語解説は別途皆さんで勉強いただくとして、今回の金融危機での信用収縮は、
   コントロールできたのか、を論じてみたいと思います。
   結論は、「コントロール不能」であったわけですが、ではどうすれば良かったのか?
   信用量のコントロールは、一般的に、マネーサプライのコントロール(日銀を始めとする中央銀行の
   貸出量の量的規制等)が代表的手法ですが、現代のように、信用創造の主体が、
   あまりにも多様化している場合は、中央銀行・ー都市銀行の貸し出し規制・貸し出し緩和の方法では、
   信用そのものの創造コントロールはできないでしょう。
   GNPが300兆円と仮定し、GNP(付加価値の総和)が円滑に資本回転するためには、
   実体経済の資金供給量と、資本回転と流通過程の把握で、大まかな最適信用量が計算できます。
   農業製品は、生産ー流通(2-3社)−卸ー小売ー消費者で、5〜7回転。
   工業製品は、原料ー半製品ー部品ー完成品ー卸ー小売ー消費者で、同じく5〜7回転。
   建設も、原料ー半製品ー部品ー完成品ー卸ー小売ー消費者で、5〜7回転
   流動性(liquidity)が、70%程度とすると(手元流動性の滞留・歩留まり)、
   実体経済では、GNPの10倍の信用創造があれば、事足ります。つまり、約3,000兆円。
   他方、貯蓄・投資・資本の側での議論でも、「古代の資本主義」では、
   貯蓄はほぼ投資に回りましたから、その信用創造は、
   貯蓄ー銀行ー貸し出しー生産・流通主体の手元流動性、とのシンプルな図式であれば、
   4〜5回転ですから、300兆円の経済の金融信用創造は、1,500兆円規模で足りたのです。
   合計4,500兆円が適正規模、と計算できました。
   これが、古典派の資本と貨幣流通量の関係です。(ものすごくシンプル化しています)
   ところが、昨今の金融工学で、本来の物権を債権化して、「商品化」してしまう行為により、
   その数十倍・数百倍の、信用創造がなされてしまっており、貨幣(現金および預金)などでは、
   把握しきれない、亡霊信用創造が、経済を揺さぶることになってしまったのです。
   世界の株価は、1年で、2,500兆円失われたと言われていますが、これも、
   実体経済の信用創造で留まっていれば(日本で4,500兆円)、
   このような事態にはならなかったわけです。
   亡霊信用創造が、その10倍としたら、50,000兆円(5京円)、これは恐怖です。
   信用収縮を恐れ、解決するためには、まず、「亡霊信用創造」の量的規制の経済学を、
   確立すべきでしょう。
   
   2009年3月3日



   1年年次決算 は 諸悪の根源
   リーマンブラザースの破綻、トヨタの2兆円黒字からの赤字転落、資金繰りのための粉飾、
   経営者の場当たり、保身主義、長期的視野の欠如、投資の躊躇、株主のための超短期経営方針、
   これらは、根源は「自分のため」である経済行動が原因ですが、
   その悲しい資本主義経済でも、制度を見直せば、ベターな運営ができるのでは、と思い至り、
   「会社決算を4年、最低でも2年」としよう、と公に提案します。
   米国大統領は、4年の任期であるが、会社経営最高幹部(社長)に例えれば、
   社長になるために、1年以上人事・株主に訴え続け、任期最後の6ヶ月は、
   社長の任務が機能不全になっています。
   衆議院議員、知事も4年、結局会社経営評価も4年が「正常」であるべきで、
   1年で結果を求められる会社決算制度は、制度自体に欠陥があると思われます。
   1年で結果を出すために財テクに走ったり、業績維持しないと自分の給料に跳ね返るから粉飾したり、
   株主からの突き上げを避けたりします。
   4年決算制度は、日本全体、世界全体、次世代のため、という視点を、
   少しでも経営者が「現実」として考えることができ、上記トヨタのように、過剰投資からの損失を、
   4年であれば、防げたとも思います。
   一方、税収制度は、半期毎の「所得税仮払い」制度も、今もありますし、欠損の繰越制度も、
   今もあるわけですから、税収減の懸念は、管理監督をしっかりすれば、防げるはずです。
   年度決算の低迷から、3月期決算でのキャッシュフローを「異常に」抑え、
   歪んだ経営をすることがあとを絶ちません。
   「在庫を3月決算までに絞れ!」と命令が出れば、わけも分からず、狂信的に在庫削減に、
   皆が一斉に動き、自動車メーカー、部品メーカー、中間原料、原料、商社一斉に同じ行動を取ります。
   しかも、みな今年3月決算数字の改善に必死です。
   そんなことも、4年のスパンでいけば防げるでしょうし、慌てないので大丈夫です。
   結局のところ、全ての経済の波は、人間の異常な行動から起こるのです。
   1年の波を、人間自ら作り出している現在の状況は、人間の生活向上という概念からは、
   本末転倒の経営姿勢です。
   どうですか?議員立法するよう、働きかけしませんか?
   
   2009年2月6日



   資本主義と共産主義、自由と平等、性悪説と性善説
   現代日本は、資本主義、自由主義の経済政治体制を採用している。
   昨今、企業不況から、非正規雇用の方々の解雇が相次ぎ、企業の社会に対する姿勢が問われている。
   私は、過去も、資本主義の内在的特質として、「人間の欲」の原理を述べてきた。
   資本主義である限り、不況になれば、企業存続のためには雇用調整は「当然」であって、
   労働者は、最悪、解雇の運命を受忍しなければならない立場に置かれているのが、
   資本主義であると申し上げてきた。
   資本主義は、企業活動、職業選択、幸福の追求等々の、あらゆる自由が前提である。
   富の追求、物質的幸福の追求は、人間の飽くなき欲求動機を利用している。
   労働者・被搾取農民は、過去、その理不尽さに我慢できず、マルクス理論を思想的よりどころにして、
   共産主義革命を起こし、自由を捨て、人間の平等に最大の価値を置いた。
   結果失敗した。原因は簡単である。
   人間は、欲を捨てられない動物であるからである。
   共産主義が成功するためには、人間が欲を捨て、他人への奉仕・愛で活動する、
   「完全者」になりきらなければならない。
   それが不可能であることは、ソ連で証明し、中国共産主義も集団経済を捨て、
   私有企業・私有財産を認めて、人間の活動の源泉は、「欲」を利用しなければ成り立たないと、
   結論したからである。資本主義も不完全である。
   チャーチル英国首相は、「民主主義は最悪のシステムであるが、それに勝るシステムはない」、
   と言ったが、それは、日経新聞1月6日朝刊に、東大教授も上島と同じ問題意識を論じて、
   掲載した論文に引用されているが、全く私と同じ考えである。
   「資本主義も最悪のシステムだが、人間が人間である以上、非完全動物の行動原理を利用する、
   資本主義に勝るシステムはない」と言いたい。
   近代資本主義における労働者は、道具であるのが「資本主義」であるが、
   では、労働者は、本当に「道具」か。産業革命時代のイギリスは、確かに道具であった。
   チャップリンの批判は、英米に於いての、身分の固定化、貴族・上流階級の、
   イギリスでは当然のこととして、労働者は永遠に労働者で、資本家は永遠に資本家、
   という図式であった。
   しかしながら、現代日本では、労働者は恒久的な道具ではない。
   本人が道具に甘んじていれば、道具にされるだけであるが、資本の論理が、
   欧米に比較して弱い日本では、「大家族主義」「終身雇用」「従業員株主制度」等で、
   資本と労働の一体化が図られてきた。
   大多数のサラリーマンは、会社に「道具」として入るが、そのうちの1割は、
   ある時点で経営者に変化する。
   資本と経営の分離、資本の軽視は、ある意味、労働者と経営資本の対立を緩和している「折衷案」、
   としての理想形かもしれない。
   その意味で、かつての日本経済システムは、「資本主義の理想」とか、
   「自由主義的共産主義経済体制」と呼ばれてきた。
   しかしながら、その体制に於いても、労働者を救済する手段は、企業自身には存在せず、
   社会主義的政府行為しか不可能である。
   その方法は、徴税による「富の再分配」であるが、それにも限界がある。
   政府は、人民の税によって、公共財(外交・防衛・教育・インフラ)を運営するのであるが、
   貧困への救済は、減税(無税)以上の手段としては、
   「生活保護法」による給付金、年金しか出来ないのである。
   生活保護法は、人道的見地から制定された法律であるが、誤解を承知で述べれば、
   貧者を多数派にしないための、資本主義の矛盾の緩衝材ともいえる。
   もともと、政府自身が富を生むことはないので、富を人民に与えることは本来不可能である。
   言い換えれば、マイナスの税金制度は、論理的に無理である。
   もし、富の再分配を、そこまで行えば、それは資本主義を放棄し、
   強制的「平等主義」である、共産主義になったも同じだからである。
   無理やり、富の再分配を行う方法はあるが、それは「赤字国債」である。
   それで貧困を救済することも可能であるが、現実は、建設業者の富を、
   さらに、潤すだけの結果に終わっているのが歴史であり、800兆円の政府の借金である。
   それを貧者に、一時的に廻す仕組みには、政治体制としてなっていない。
   自民党も民主党もそれをやっては、政権を取れないからである。
   貧者(失業者)は政治力もないし、幸いかな、まだ少数派であるからである。
   もし貧者が多数派になったときは、上記の共産主義革命が起きる。
   公明党が提案した定額給付金は、税金を全く支払っていない低所得者に対しては、
   言わばマイナスの税金制度であるが、一人¥12,000程度であれば、それは生活保護にも劣るので、
   効果は無意味といえる。
   斯様に、資本主義の矛盾は、しばしば不況時には露呈する。
   不況は結局、富裕層にも、大きな影響を与えることは、富裕層自身も認識しているのであるが、
   自らの財産への欲求・保身への切望を捨てられることも、また不可能であるので、
   恐慌が起きるのである。
   失業者の氾濫は、犯罪の増加、社会不安、社会意識の荒廃をもたらす。
   2009年は、世界の資本主義の社会主義化(富の強制的再分配)が必然であろう。
   
   2009年1月5日、2009年1月7日加筆



   政権交代と 人類の熟成度
   昨今の日本の政治で、自民党の混乱、民主党の台頭で、にわかに政権交代が騒がれています。
   人類の歴史で、政権の交代が、流血なしに、かつ頻繁に行われるようになって、
   まだ非常に歴史が浅いし、まだほんの一部の国だけしか、平和的政権交代が行われていません。
   過去、政権交代は、戦争内乱、暗殺、軍事クーデターなど、
   決して平和裏に行われてきませんでした。
   徳川幕府までの日本も、政権交代は、すべて「いくさ」「クーデター」という形式を採ってきたし、
   世界も、民主主義が確立するまでは、全く平和裏の政権交代がありませんでした。
   政権は、「権力」の最大の象徴です。人間の最高の欲である、支配欲を満たす最大のものです。
   北朝鮮、中国共産党は言うに及ばず、日本の自民党一党の数十年の歴史も、
   支配欲、権力欲の魅力に勝てない人間が、ただ自分の欲のために、政権に固執しているために、
   だらだらと、政権交代がなされないまま来てしまいました。
   マキャベリ曰く、「権力はそのものの特性、持続によって腐敗する」。
   権力、それ自体、また権力の長期保持が、人間を変質させると言っています。
   だから、人間が変質して、妙なゆがんだ政治になる前に、法律で自動的に、
   個人を政権の座から、追放しなければなりません。長期政権そのものが悪なわけです。
   大統領は4年、日本の衆議院も4年、知事も4年を任期と定めているわけです。
   政治は、本当は、人民に奉仕するために存在しているのですが、
   その考え方を、身にしみて 実行している政治家は、世界中見渡しても、非常に数が少ないと思います。
   人類の熟成度は、いいかえれば、「政権に対して、どれだけ、その中枢に居る人間が、
   軽く考えられるか、執着しないか」かも知れません。
   固執するような、強大な権力であればあるほど、執着からの決別をしなければならないわけです。
   会社もそうで、人間、社長を30年、40年やっているような会社は、まず、
   それ自体が活性を奪うことになり、社員は息苦しさを増すばかりです。
   公務員もそうです。
   官僚が、自分の保身を考えた瞬間、官僚による行政は腐敗するわけですが、
   官僚が終身雇用である、日本のシステム自体が、もう限界であるわけです。
   政権に対する、人間個人個人の執着を捨て、「国民への奉仕」が100%になった瞬間、
   政治は激変するでしょう。
   その意味でも、政権交代は人間の欲がある限り、国民の義務でもあります。
   
   2008年12月28日



   商品相場と資本主義
   最近の経済情勢は、資源高騰による、経済停滞が顕著化して、アダムスミスの、
   所謂(いわゆる)、「みえざる手」が働いて、需給の急速な修正局面を迎えています。
   これだけ資源が高騰すると、『富と富の分配』でも書きましたが、
   十分な購買力を備えている富裕層以外は、消費を削減せざるを得ないのは、自明の理であり、
   富裕層は、人口的にも、世界の1割がせいぜいであるので、旅行、自動車、
   贅沢品(家電製品、高級衣料)などは真っ先に影響を受けるわけです。
   自動車販売が、10%も20%も落ち込めば、それに関連した、石油製品、鉄、非鉄金属、ガソリン、
   レジャー産業などが、軒並み影響を受けます。
   今年初めからの、異常相場がまるで、「なかったかのように」鉄スクラップ、非鉄原料など、
   先行指標は8月に急落し、富士山以上の急曲線を描いて、もとの価格まで戻っております。
   やはり、「異常相場」は「異常」だったわけです。では今後はどうであるか。
   中国やインドが急成長したのは、その構造的な「安さ」、すなわち、原料の安さ、労働力の安さ、
   物価自体の安さに依存していたのですが、原料高騰は、その全てを打ち砕こうとしています。
   その証拠が、中国株が50%近く下落し、インド株も同様であることで、実証されています。
   (日本はせいぜい10〜20%の下落に対し)、ユニクロは、中国一辺倒から、「脱中国」計画を、
   先日ぶち上げましたが、東欧、ベトナム、タイ、マレーシア、トルコなど周辺諸国への分散が、
   これからドンドン進むことでしょう。
   その先にあるのは、やはり、「平準化」です。
   一つの労働価値・サービスに対して、高いところから安いところへ向かうのも、
   いずれ限界となるわけです。
   「地域的格差は縮むー自国内格差は拡大する」という力学は、常に世界中で作用するので、
   最終的には、その職種自体の「労働価値」が、いったいどれくらいあるのかに帰結するでしょう。
   マグネシウムも、究極は、マグネシウム自体の「本来価値」に集約され、
   シリコンも同様、ガソリンも、また同様でしょう。
   その「最終価値」は誰にも定義できませんが・・・・
   
   2008年9月4日



   富と富の分配
   富とは何か?これは深く、永遠のテーマである、人間の幸福とも関連していますが、
   とりあえず、経済的観点だけ論じれば、世界のGNPの合計でしょうか。
   すなわち、全ての人間が生み出す、「付加価値」の総合計と定義できると思います。
   世界の人類が、皆平等に、富(付加価値)の分配をうけていれば、日本・米国などは、
   著しく現状よりも、富を失う結果となるし、アフリカの最貧国などは、
   今まで経験したことのない、豊かな生活を得る結果となります。
   現実は、富は、著しい不平等の元で分配されております。
   分配方法は、現在のところ、資本主義経済論理が主流ですが、
   最近では、『日本の将来像は?』で2月25日に書いたとおり、国家資本主義、覇権主義の下に、
   違った意味での、不公正な分配が横行し始めました。
   地域偏在、階級格差偏在、人種間偏在、年代別偏在など、さまざまな歪みが、
   富の分配にはありますが、最近の先進国から、資源国への富の著しい分配率の変化は、
   換言すれば、「労働・生産への価値配分」から「持てるものへの価値配分」と言えます。
   これもある意味、搾取(さくしゅ)かも知れません。
   富は、労働・勤勉への対価として分配されるのが、正当な社会と思いますが、
   「持てるもの」は勤勉とは無縁で、「先天的に付与」された立場です。
   日本は、かつて、その「先天的に付与」されていない資源確保のために、
   地域偏在(日本は不偏在)を解消するために、戦争をしかけました。
   結果、より強力な存在(米国)に敗れ去り、また以前の持たざる国に戻りました。
   国別の分配のイメージは、
   (1)先進国(2)途上国(3)資源国(4)最貧国と分けるとすると、
   国民一人当たりのGNPは、ひとつの重要な富の尺度ですが(購買力平価をどうするかは除き)、
   実感としての、富の分配のイメージは、かつては、
   先進国7割、資源国2割、途上国8%、最貧国2%でしょうか。
   最近の資源高で、それが、
   資源国5割、先進国4割、途上国9%、最貧国1%てな感じです。
   ここで重要なのは、「最貧国」は、日本国憲法でいうところの、
   「健康で文化的な」最低限度人間として、ふさわしい生活水準といえるだろうか、ということです。
   飢餓で、毎年、子供たちが数十万人飢え死にしている現状は、
   とても富の分配を受けているとは言いがたい。
   つまり、最貧国への1〜2%の分配は、「非常にゆゆしき」事態であるといえます。
   途上国の8〜9%の分配は、かろうじて、「人間として生活できる」水準といえるとすれば、
   今までの先進国は、約7倍「贅沢」していたことと言えます。資源国は2倍の贅沢だったでしょう。
   それが、今は、資源国の「贅沢さ加減」が、7倍から5倍に低下したのです。
   でも、人間は、一度贅沢を覚えたら、「低下」することが耐えられないから、
   大騒ぎしているというのが、現実でしょう。
   換言すれば、人類の平均からすれば、日本の今は「全然OK,すばらしく幸せ」です。
   資源国は、世界の富の半分を得ているのですが、それは極論すれば「不労所得」です。
   たまたま、地球のある地域を占めている国家の土地に、たまたま石油、鉱物資源があっただけです。
   全然威張れません。人間は欲の塊ですから、「まだまだだ」と主張しているのですが、
   いずれ、富の均衡という真理に直面すべきで、資源の価値は地球の一部ですから、
   全人類が、平等に分配されるべきものと思います。
   富の階級格差偏在に関しても、上島は、相場グラフの欄の下に「草稿」として述べているように、
   これも難しい問題です。なぜならこれは人間の煩悩だからです。
   階級欲、名誉欲、地位欲、金銭欲、能力の差、ねたみ、などが絡んでいるからです。
   詳しくは「草稿」を参照下さい。
   
   2008年8月1日



   日本の将来像は?
   最近の資源覇権、途上国の資源外交、大国の資源争奪戦を見ていると、
   日本の将来へは、私は楽観論には立てない気がしております。
   日本は21世紀には、「大国」(少なくとも経済的に)の地位から、
   徐々に滑り落ちていく運命にあるのでしょうが、その「落ち方」には、
   十分配慮しなければならないと考えます。
   19世紀は英国、20世紀は米国、21世紀は中国・インドが、経済的大国として君臨するでしょう。
   日本は、20世紀の後半50年は、米国に次いで2位の経済大国でした。
   21世紀には、ユーロが単一経済圏(通貨・交易)に、完全に移行したわけですから、
   欧州大陸をひとつの経済単位とすれば、あと20年もすれば、日本は、
   米国・ユーロ・中国・インド・ロシア・に次ぐ規模に、凋落(ちょうらく)することは、
   予想の範囲でしょう。
   日本の将来像は、米国のような「軍事大国」でもありませんし、
   中国のような「経済覇権」でもありません。
   環境を重視し、GNPならぬ、GNH(gross national happiness)を目指すべきでしょう。
   日本人の生活指標は、欧州諸国を範に組み立てることが、望ましい方向性です。
   日本の将来モデルは、英国であると言われて久しいです。
   英国は、19世紀の覇権者でありましたが、現在は「際立った」軍事・経済・文化的覇権はありません。
   「超大国」からは「落ちました」が、しかしながら、旧植民地時代の威厳・繁栄を、
   21世紀の今も保っています。
   英国は、実は、「隠れた権益」を非常に多く所有しております。
   1)シティーの金融街
   2)多くのパックスブリタニカ諸国(豪州・ニュージーランド、南アフリカ)
   3)世界的資源権益会社
    石油、鉄鉱石、非鉄資源のBHPビリトン、リオティント、BP,ロイヤルダッチ、
    アングロアメリカン、等々例を挙げれば、非常に多くの権益が「英国権益」です。
   (ひるがえ)って、日本はどのような権益を有しているでしょうか?
   英国は、自国では資源はありませんが、かように非常に多くの権益を有しています。
   日本は、太平洋戦争後、経済「資源」覇権を奪われていたわけではありませんが、
   露骨なやりかたは避けてきました。
   優れた労働性・勤勉さ・高度な技術で、「無資源」ながら、高度経済成長を遂げ、発展してきました。
   しかしながら、眠れる巨人である中国・インドが目覚めてしまった今、
   日本の優位性が、さまざまな方面で失われている現状、「無資源」の危うさが、
   石油・エネルギー・レアメタル・鉄鉱石交渉などあらゆる方面で、脆弱性を露呈しております。 
   1950〜60年代から、総合商社が資源権益確保で奔走し、石油DD取引、穀物メジャーとの競争、
   鉄鉱石・非鉄鉱石・等々の実績を上げてきましたが、
   ここに至り、総合商社のみの権益確保では、不十分な状態となっております。
   BHPとリオティントの統合案件は、数十兆円の話です。
   アルキャン買収、中国アルミの権益確保の動きなども、数兆円以上です。
   アルコアとても、例外ではない状況です。
   総合商社は、せいぜい、数千億円までが精一杯であると考えれば、
   「国家資源会社」を保有している、英国・豪州・中国に、後塵を拝することは明白かも知れません。
   英国を模範とするなら、もうすこし30年40年を見据えて、行動を起こすべきでしょう。
   その前提での、環境保護、GNHの追及かも知れません。
   
   2008年2月25日



   CO2排出権取引
   最近、CO2の排出権取引が盛んです。これも大変興味深く見守っています。
   CO2の排出は、経済成長の結果、どうしようもない地球破壊の産物ですが、
   それを「経済論理」で解決しようとの試みが、いかにも資本主義らしい動きです。
   大いなる矛盾を抱えています。
   京都議定書に加盟していない国に、「目標削減量」が存在しないわけですから、
   「削減」概念自体がおかしな定義です。
   ただ、「現状より削減」できれば、それはそれで「少しは」意義あるものですから、
   やらないよりやったほうがまし、と言ったところでしょうか。
   理念として、日本も欧州も京都議定書を批准(ひじゅん)したのですから、
   それらの諸国は批准(ひじゅん)しない国々よりはましでしょう。
   米国は最大の身勝手な国家とも言えます。
   ロシア、中国、インドなどの大国では、「自分たちは先進国的繁栄を享受していないので、
   それを享受してから考えるべきであり、今は参加しない」との論理です。
   それも一理あるかも知れません。
   米国・欧州・日本並みになってから削減を考えるのが「平等」であるのでしょう。
   でも、もしロシア・中国・インドが、先進国に「なってから」削減をし始めたら、
   たぶん、「時すでに遅し」であることは明白なので、先進国も反対します。
   これも、過去述べてきた「人間の欲」の突っ張りあいです。
   で、CO2の排出権取引は、人間の欲を捨て去るのは「不可能」なので、
   妥協の産物として考え出されました。
   環境保護、省資源に向かうものであれば、どんなにコストがかかろうが、それを商品化してしまえば、
   結果として、全人類の生存に貢献するであろう、とのセカンドベストでしょう。
   所詮、カネは、人間の編み出した産物ですので、どんなにコストが高かろうが、
   地球としては全く影響ありません。どんどん進めればいいのです。
   石油を削減しなければならない局面であれば、人間の理性が働かなければ、
   経済論理で解決するしかありませんが、そのときはたぶん、1バレル$200以上になって、
   皆が自動車に乗るのをやめるとか、電気を使わない生活に戻るとかしなければならないでしょう。
   昭和30年代の日本は、現在の日本の石油消費量の5分の1だったそうです。
   そうすれば、1995年の目標値どころか、一挙に問題解決できます。
   でも、皆さん、その生活に戻れますか?
   
   2008年1月4日



   物の価格について
   これも殊更(ことさら)、経済学ではありませんが、
   昨今の、希土類の(いや非鉄全般の)急騰の根本原因でもあるので、思うまま、書いてみます。
   物の価格(すなわち価値)は、希少性と必要性(ニーズ)で決定されます。
   いくら希少性があっても、ニーズがなければ、「無価値」となりますし、
   ニーズが非常に重大でも、希少性が全くなければ、それも「無価値」となります。
   例えば、「空気」「酸素」は人間が生存するのに絶対に必要ですが、つまりニーズとしては、
   無限大に近く高いのですが、希少性が全くないので、人間は無料で呼吸できているわけです。
   でも、もし同じく無料に近い「水」も、ニーズとしては空気と同じく殆ど無限大ですので、
   もし砂漠で、水が1個のペットボトルしかないとなると、それが必要なときは、
   ベンツ1台とでも交換するに匹敵する、「価値」になるのであります。
   今の希土類は、昔、日本人がND磁石(ネオジムじしゃく)を開発するまでは、NDは殆どニーズがなく、
   希少性あるものの、「価値」がありませんでした。
   NDが脚光を浴びて、ニーズが出て初めて価値あるものとなりました。
   今、中国政府がE/Lを制限し、「希少性」を意図的に強調して、ニーズを飛躍的に拡大させて、
   まるで砂漠での水のごとく、価値を増大しています。
   需要家の対策としては(もし今の価格が好ましくないと思えば)、ニーズを減らすか、
   希少性を薄めるため、他の資源国の開発を促すか、
   備蓄をして、希少性への焦りを緩和するしかありません。
   日本は、資源が全くないといっていい国家ですが、人間の生存に必要な水と空気は豊富です。
   生命の維持が最大のニーズですから、やはり、環境、農業(水、空気、食べるもの)を忘れた生活は、
   危険ですね。
   ニーズを減らせば、意外と生活は楽かも知れません。
   
   2007年8月10日