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第3章  仕事・商売について






   彼を知り、己を知れば、百戦して殆うからず
   言わずと知れた、有名な孫子の兵法の中の一節でありますが、
   僕も含め、多くの日本の経営者が、座右の銘としてあげる言葉であります。
   僕はこの言葉を、よく部下に「営業とは」を説明するときに用いますので、
   ちょっとこの機会に、この示唆に富む言葉の意味を述べてみたいと思います。
   日本では普通はこの言葉は、「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」として知られています。
   孫子は「彼を知り」としていますが、その意図するところは戦争という相対関係を語るより、
   むしろ経営・経済的環境で用いるのに適しているでしょう。
   つまり、彼とは、不特定第三者も含む、(直接の取引先)+(同業他社)+(一般経済状況)
   の全てを含む、ということでしょう。
   この言葉は『目的と手段の混同について=仕事をするということ』でも述べた、
   「商売をすること」とも関連しています。
   すなわち、(日頃部下に強調していることを以下引用します)
   (1)商社営業の最大にして唯一の目的は、「商売をすること」です。
   商売は上記で言う「百戦」です。
   戦いに勝利すること=契約にこぎつけること、を意味します。それ以外の目的は存在しません。
   それ以外の、営業活動・事務活動は、すべて「商売をすること」のための手段です。
   (2)で、商売をするために、日々業務に邁進するわけですが、
   そこには、戦略がなければ、その行為は無意味です。
   相手国と戦争する場合、目的は「勝つこと」ですが、では勝つために、
   何をどう、いつごろ、仕掛けるか、等々の戦略(兵法)が必要です。
   竹やりで玉砕したって、誰も喜びませんし、日本国家にとって大いなるマイナスでした。
   戦略がなかったわけです。
   これ(兵法を考えること)は、構想力とか、政策立案力とか、と表現します。
   それに、先見性・判断力が付加されます。
   (3)戦略(兵法)を立てるためには、現状を把握しなければなりません。
   業界全体の状況、特定顧客の使用数量、購買タイミング、購買方針、担当者の個性、部長の個性、
   担当者と部長の意思決定の関係、競争相手の癖・出方、すべてを知らなければ戦略を立てられません。
   「彼を知り、己を知れば(自分の立ち位置を認識すれば)、百戦危うからず」です。
   これは情報収集力、情報分析力、対応力とか表現します。
   で、営業順序としてはまず、(3)をやって、次に(2)を実行して、(1)にたどり着く順序です。
   (以上にて引用終わり)
   という風に、商売の目的と手段を、「孫子の兵法」を引用して例えることができましょう。
   斯様(かよう)に、「彼を知り、己を知れば」は、
   現状認識(周辺事情・己の内面・決意)の冷徹な実践をせよ!!との大いなる教えでしょう。
   では、孫子はどのような「現状」を分析せよ、と言っているのでしょうか?
   上記(3)は、僕が必要と思っている現状把握でありますが・・・
   孫子は、「五事七計」と言っています。
   五事(己の立場・能力の分析)とは、「道」(指導者と部下の志を同じくさせること)、
   「天」(タイミング)、「地」(地理的条件の分析)、「将」(指導者の器量)、
   「法」(組織の合理性)、七計(敵・・競争相手との比較、)
   *主、いずれか有道なるーー 敵と自軍、どちらが一致団結しているか。
   *将、いずれか有能なるーー 敵と自軍、どちらの指導者が有能か。
    ・・・・ 等々、地・法・兵の比較分析を、あらゆる観点からしなさいと言っています。
   (言われてみれば、全部当たり前と言えば当たり前ですね。)
   ということで、今回の結論、
   「経済行為も戦争も、できるだけ多くの情報を収集すべきである。
   業界も、商品知識も、商慣習も、取引相手の個性も、使用数量も何もわからないで、
   商売を仕掛けることは、竹やりで戦争を挑む日本兵のようで、愚の骨頂である」ということであろう。
   
   2015年2月17日(弊社社員への訓示を一部引用)



   目的と手段の混同について=仕事をするということ
   人生の目的は、人それぞれ異なり、ある人は自己実現、ある人は幸福の追及、
   ある人は自分の存在の確認等々、色々であり、どれが正しいとか、
   間違っているとか議論するのはなじまない性質で、結局のところ、
   「人生の目的には正解がない」というのが、真実かも知れません。
   ここではちょっと狭義に絞り、仕事をするということ、
   特に商社の会社生活での目的は何か?とのお話から始めたいと思います。
   それは、下記と言えましょう。  
   「お客様と商売をすること。そのことで会社が利潤を上げ、
   従業員の生活が充実・安定すること」です。
   大多数の社会人は仕事をしていますが、「何のために仕事をしているか」を自問自答する場合、
   「仕事の目的=人生の目的・意義と同義」と考えてしまい、上記のように人生の目的は、
   正解がないわけですので、焦点がずれてしまいます。
   ここではシンプルに、「経済活動の目的」という意味として、理解していただき、
   日々の仕事にて、多くの人に見られる「勘違い」に関し、語りたいと思います。
   しばしば人は、忙しい営業を日々していると、手段が目的化している仕事ぶりに陥ってしまいます。
   商社の仕事の日常行為は、メールを見て、発信したりする。
   客先に電話をする、客先と面談をする、出張をする、海外出張をする(客先のアテンドも含め)、
   接待飲み会、接待ゴルフ、市場動向調査、新規客先開拓、サプライアー開拓、
   事務職員との打ち合わせ、上司への報告、成約、契約履行、資金回収・・といったところでしょうか?
   なにやら、色々忙しく「仕事」をしているように錯覚しますが・・・
   個々の行為をよ〜〜〜く、分析してみますと・・・
   * 客先と会うことは、手段です・・ 商売をするためのプロセスですね。
   * 客先に好かれる・信頼されることは、手段です・・ 円滑に商売するためには必要ですね。
   * 電話すること・メールすること、も手段です・・ 成約に向けての意思疎通の手段で、
     それも、目的である商売するためですね。
   * ということになると出張することも、手段にすぎません・・ 商売するために・・
   * 報告書をまとめること、備忘録を作成すること、お礼メールを送ること、も手段です・・
     最終目的の、「商売をすること」のための情報蓄積行為ですね。
   どうでしょうか?
   結局営業マンの上記行為(20以上の行為に定義づけされますが)は、
   すべて、目的としての「商売するため」の手段、ということになります。
   昔、臨済宗中興の祖の白隠禅師が「隻手(せきしゅ)の音とは???」という公案をだし、
   多くの修行僧を悩ませましたが、ある日、それを聞いた商人のおばあさんがこういいました。
   「白隠の隻手の音を聞くよりも、両手をたたいて商売をせい!!」と喝を入れました。
   それを聞いた白隠は 参ったそうです。
   例としては極端でしょうが、僕なりの解釈は、悟るために、
   ああでもないこうでもないと色々手段を考えますが、
   所詮皆、「手段という小さなプロセス」の議論をしているだけで、
   悟りという、「本当の目的」には近づいていないわけです。
   おばあさんはそれを喝破して、ストレートに「目的」を提示したと思います。
   営業マンのみなさん!!
   出張アレンジして、出張報告をすることは、「仕事」の一部ですけど、
   単なる手段の消化にすぎません。
   それで「俺は仕事したのだ!!!」と思わないでください。
   単なる一つの小さなプロセスなのですから・・・・
   
   2015年1月28日(弊社社員への訓示を一部引用しました)



   営業と心の交流
   今回は、常日頃、部下に言っている「営業手段と心の触れ合い」について、書いてみたいと思います。
   営業は、結局は、売り手である営業マンと、買い手である購買担当者との、
   人間と人間の心の交流であり、営業能力の良しあしはつまるところ、
   「いかに深く、真摯に心の交流をなしえたか」、という言葉に言い換えられます。
   営業手段としては、メール、電話、商談訪問、接待、海外出張アテンド等々がありますが、
   こころの交流という意味で、手段の効果を表現すると、
   メールを1とすれば、電話は5、商談訪問は10、接待は20、海外出張アテンドは30、
   くらいの密度の違いがあるでしょう。
   以前、「説得と納得」でも書きましたが、結局は商売成立は買い手であるお客様が心を開いて、
   当方がご提案することに、「納得」していただいた瞬間が、商売成立の時であるわけです。
   1・5・10・20・30とあえて、数値で表現しましたが、その数値は、
   「心の交流の度合い」「心を開いてもらう可能性の度合い」と言い換えられるでしょう。
   100回のメールより、1回の海外主張アテンドのほうが、心の交流を深められます。
   ここまでは、お読みになっている皆さんが、納得していただけると思います。
   で、当然のことながら 商売の濃さ、多さを目指すためには、訪問頻度を上げ、
   当社のことを、自分自身を知ってもらい、信頼してもらう努力をするわけですが、
   もし、不適切な発言や態度、間違った情報や、強引な姿勢等々があり、
   お客様の印象を悪くしてしまった場合も、逆に「マイナス効果」として、
   メールの不適切さの5倍、10倍、20倍の悪影響もあるわけです。
   つまり、何もしないことより、悪い営業行為は、負の効果をもたらすこととなります。
   従い、極端な例ですが、相手が忙しいのに毎日電話したり、
   商談のアポイントを適切な話題もないのに、毎週のように申し込んだり、
   強引に説得したりすることは逆効果で、やってはいけないことなわけです。
   結局は、「今、お客様は何をしたいのか」「どのような状況なのか」「どのようにお考えなのか」
   という、状況判断をしたうえで、最適な営業手段を選択することが、重要と言えるでしょう。
   時には、お客様の時間を邪魔しないメール報告が、一番良い場合もあるわけです。
   その臨機応変な選択は、人間力、人格の向上がなければできないわけで、
   電話も訪問も接待も、適切なタイミングに、適切な内容で進めないと、
   お客様の、正当なご評価は得られないこと、となります。
   商社マン生活35年、まだまだ未熟ですが、日々反省とともに、お客様の信頼を得られるよう、
   これからも努力する所存です。
   
   2014年8月5日



   風と太陽、説得と納得
   商社マン生活も早いもので、34年目になりました。
   三井物産という大企業を退社し、小さな会社を興してからも18年目となって、
   生意気にも、部下に商売のコツなぞを教えなければならない立場に置かれています。
   (商売の本質と商社マンの勘違い)として、2007年の8月に書いた事と重複にはなりますが、
   改めてそれは、商売の真理と思っておりますので、
   日頃、部下に言っている事を書いてみたいと思います。
   童話に「風と太陽」の話がありますが、ご存知の通り、人の分厚いコートを脱がせようと
   風と太陽が競争するお話です。
   風は一生懸命猛烈な強風を吹きかけ、コートを剥ぎ取ろうとするのですが、
   そうすればするほど、人はコートを固く握りしめ、剥ぎ取られまいとして北風は失敗します。
   対して、太陽は燦燦(さんさん)とその光を注ぎ、暖かく人を包み込み、
   彼自らコートを脱ぎたいという気持ちにさせ、脱がせることに成功します。太陽が勝利したお話です。
   この話はまさに、商売の成功と失敗の良いたとえとして、常日頃部下に言っています。
   商社の商売は、つまるところ、お客さまに商品を買ってもらうことで成り立っています。
   そのために商社マンは、一生懸命営業活動をするのですが、その営業行為は、
   言ってみれば説得の連続です。
   「説得」とは、「得」(利益)を「説く」ことで、
   お客さまに対し、「これを今のタイミングで買うことは、お客さまの利益になりますよ」と、
   説き聞かせることですが、その行為自体は、極めて一方的、自己中心的行為です。
   (商社マンの勘違い)でいう、
   「自分は頭がいい、この商品は最高である、企画力も最高、だから必ず売れる。」と、
   自信過剰な連中が多く、その効能を得々とお客様に述べる輩が多いですが、
   それで全く反応がないとなると、
   「なぜ理解してくれないのだろう。あいつら(お客様)が悪いのだ」と、
   全く商売の本質を知ることなく、いたずらに日常を過ごしています。
   つまり、説得することに一生懸命で、相手の気持ちを全く観察していないので、失敗します。
   上記の童話でいう、北風の強風みたいなもので、言われれば言われるほど、反発されるだけです。
   対して、「納得」とは、「得」(利益)を「納める」と書きます。
   これは「お客さま自身が、自分の心で満足を感じ、利益であると認識し、
   その行為を納める」ことです。
   納得した主体はお客さまであり、営業マンではありません。
   お客さま自ら、その商品を買いたいと、心から思った瞬間が納得です。
   これは、童話でいう、太陽の働きかけの結果、人自らが「コートを脱ぎたい」と思って、
   自ら行動を起こすことと同じと言えましょう。 
   商売の本質は、説得行為でなく、お客さまに納得してもらうことで完結するのです。
   最終的な帰結は、自分の心にあるのでなく(説得でなく)、相手の心の中に存在しているのです。
   
   2013年4月10日



   仕事とは何か・自分のやりたいことと、世間が求めていること
   世の中には様々な仕事があります。
   仕事とは、世間に対する奉仕・貢献ですが(一言で言えば)、
   そのものの存在価値は、「世間がその仕事をどれだけ求めているか」の尺度によって、
   価値や需要が決まってくるわけです。
   他方、人間は個人としては、仕事の定義は、「生活の手段」「生きがい」「喜び・充実感」
   という個人の自己実現であります。
   それが完全に合致しているときは、人間は生活上、「最高の幸福」を感じますが、
   多くはその不一致に悩んでいます。
   例をあげます。 
   私はジャズを趣味としてますが(ですから仕事ではありません)、音楽にのめり込んで、
   「プロミュージシャン」を目指している若者(中年も含め)は、星の数ほどいます。
   プロを目指しているわけですから、技術的には、すばらしい演奏をできる人たちも大勢いますが、
   残念なことに、「食えている」ひとは5%にも満たないのが現状です。
   またプロでさえも、純粋に演奏そのもので「食えている」ひとは、さらに少なく、
   多くは、素人のレッスン相手で生計を立てて、食いつないでいるのが現実です。
   世間は音楽を求めていますが、大衆の多くを感動させる、
   (つまり「売れる」)芸術性豊かな音楽家の需要は、
   その供給量に比べてはるかに少なく、需要と供給の、著しい不一致があるわけです。
   誰でも、自分の能力・興味が仕事に直結することを願っていますが、世間は求めていないわけです。
   野球選手の数は、プロ野球の観客収容能力・エンターテインメントとしての、
   集客能力によって決まります。
   従い、せいぜい数百人がその需要です。
   プロゴルファーは、「それを見たいというギャラリー・宣伝効果」によって必要人数が決まります。
   石川遼は、たった一人のスターの出現によって、その「必要人数」を引き上げました。
   ですから彼は、数億円の価値があるわけです。
   ジャズプレーヤーは、東京・大阪・名古屋の、
   一部の音楽ファンを魅了する程度の需要(それとCD購入者)
   ですから、せいぜい100人もいれば十分なわけです。
   ですが、プロのジャズミュージシャンになることを熱望する若者は、数万人いるでしょう。
   言い方を変えれば、ジャズを上手に演奏したいニーズとしての需要、すなわち、
   数万人のプロ志向のアマチュアや、数十万人の「演奏を楽しみたい」アマチュアを教える、
   プロの需要は、多く存在しているので、所謂(いわゆる)レッスンプロとして、
   音楽教室で教えるプロは、数千人の需要はあるわけです。
   結局、これも、大衆の欲で説明できます。
   演奏を聴きたい「欲」を満たすプロのジャズミュージシャンは100人、
   演奏を楽しみたい「欲」を満たす教えるプロのジャズミュージシャンは数千人、
   という、仕事の需要に分かれるわけです。
   多くのミュージシャンは、「自分の演奏を聴いてもらいたい」という、
   夢が破れて(需要がないので)、レッスンプロや他の道に進むわけです。
   斯様(かよう)に「世間」とは、大衆の欲求の塊です。
   大衆が熱望する領域の芸術性はやはり、「天賦の才能」のみが、
   真の意味での「仕事人」として残るのでしょう。
   翻って、産業界でも同じかも知れません。
   大衆が必要としている、製品・ソフト・サービスを機敏に感じて、
   提供する能力が、ビジネスマンに求められる最大の資質といえるでしょう。
   自分のやりたいことは、趣味として楽しむのが一番気楽でしょうか・・・
   
   2009年11月9日



   商売の心得再考
   下記は、弊社「会社概要」の末尾に記している、商売の心得ですが、改めて読み直してみると、
   上島が体験し、下記にて書いてきたことと「全く同じこと」を言っているのには、感慨あります。
   小生も少しは(少しはですが)、偉大な先人の教えが分かるようになったのかな?
      
商法は売りて悦び、買ひて喜ぶようにすべし(二宮尊徳)
   これは、当に「お客様が幸せになった結果として商人は幸せになる」との同じ意味、
   「喜ぶ」という言葉は非常に深いです。
   売ることができてありがとう、は簡単ですが、自分が買うことが出来てありがとうとか、
   お客様に「タックから買うことができてありがとう」と言ってもらえるほど幸せなことはありません。
   商売の究極の領域でしょう。
      
信は商人の常の道(茂庵老人)
   これは、信用がいかに大事かですが、信用さえあれば、人は生きていけます。
   財産なんかなくったって信用ほど大事なものはありません。
   弊社も多くの銀行にお世話になっていますが、
   銀行からお金が借りられるのもまさに「信用」以外の何者でも ありません。
   本当にありがたいと思っています。
      
私欲ほど世に害を成す物あらじ(石田梅岩)
   人はなかなか「私欲」を捨てられません。
   西洋的資本主義は、「私欲」を利用した制度と言ってもよい訳で、それが「世に害を成す物」であれば、
   資本主義が悪いものとなってしまいます。
   資本主義の真髄は、アダムスミスの「国富論」を引用するまでもないですが、
   アダムスミスの有名な言葉に、「我々が食事が出来るのは、パン屋も八百屋も博愛心を発揮するからでなく、
   皆全て、自分の私欲、利益の追求のために行っているからである」とあり、
   その私欲が、結果として、「見えざる手」の役割をはたし、市場経済が機能しているのです。
   ただ、アダムスミスも同時に、「市場モラル」も社会哲学者として警鐘を鳴らしており、
   その私欲は「なんでもしてよい」わけでは決してない、とも言い添えています。
   石田梅岩も全く同じ事を言っています。
   彼が言わんとするのも、人を不幸にしてまで「私欲」を追求するな、ということでしょう。
   公害を撒き散らすほどの乱開発で富をなしても、それは「我欲」で、世の中に害をもたらします。
   醜い拝金主義も、他人からみれば、人の道とは思えません。
   お客様、広くは世間の幸福を考えた商売が、本当の商売であると言っているのでしょう。
      
我が身を忘れて客の心となれ(安田善次郎)
   これは、「人の心が分からなければ、商売はできない」
   「商売は買いたいというお客様の最終能動行為が完結行為である」との意味です。これも深い言葉です。
      魂を入れた値段をつける(松下幸之助)
   この言葉を読んだとき、感動しました。「値段」という概念と「魂」という概念が関連する発想は、
   凡人では出来ません。松下幸之助ならではでしょう。
   お客様が「感動」「納得」など心を動かされなければ、なにもできないことと同じであると言いたいのでしょう。
   いい加減な価格設定、単なる儲けのための価格は客にはお見通しである。
   心の底から、納得できるような価格を提示せよ、でしょうか。勉強になります。
      天は善なる者に幸福を与える(渋沢栄一)
   商売での幸せは、お客様から感謝されることです。
   「感謝」されることは、悪意ある商売からは絶対になし得ません。
   悪は、いつかはその「取り繕い」がバレるものです。
   善を心がけ、善で客先に接すれば、きっと理解し「感謝」される、
   すなわち自分が幸福になれるということでしょう。
   これも「お客様の幸せを追求する」という善が「結果として」自分に幸福が訪れるという意味でしょう。
      商人の常に守るべきは、謙の一字(西川如見)
   これは、商社マンの勘違いで述べたように、独りよがりは自己満足にすぎず、お客様の幸せを願い、
   常に謙虚に商売すべしの意味。
   ただ、これからもそれを実行するのみです。
   
   2007年8月14日、2007年8月15日、20日加筆



   相場と人間の感覚
   別に、今更、経済学を論じたいわけではありません。
   ひとつ、相場に(まつ)わる人間模様を書いてみたいと思います。
   相場は相対的なもので、決して絶対的なものではありませんが、しばしば、「高いなあ」と不満を漏らします。
   でも、それが1ヶ月も続けば、人間は慣れてきます。不思議なものです。
   銅相場に例えれば、つい3-4年前はトン30万円だったのが、今は100万円です。3倍です。
   急騰しているときは、100万円は「耐えられない」価格と実感します。
   でも、100万円の相場が1年続けば、それが当たり前になり、ちょっと85万円まで下落すると、
   「あ!安い。今が買い時だ。」となります。
   タックは、10年〜20年でマグネその他の商売を考えていますし、
   お客様である皆様方も、10年〜20年で物事を考えなければならないはずです。
   しかし、人間である以上、「感情」があり「感覚」があります。
   ただ、その感覚は時として、判断を誤らせる原因となります。
   どうしても、目先の短期的相場に気を取られ、一喜一憂します。
   つまり、人間は価格に慣れない限り、(こだわ)りから逃れられないのです。
   しかし、慣れてしまえば、囚われなくなります。
   中国品を取り扱って、はや20年になりますが、中国品は確かに今まで「安かった」です。
   国際競争力は世界で抜きん出ていました。
   それで世界中の商社、お客様が中国へ集中した結果、中国が覇権を握る商品が数多く出てきました。
   で、希土類を例にとれば、今、かつてない相場に世界中が困惑しています。
   それは、人間の上記の「感覚」が招いた帰結に過ぎないかも知れません。
   中国は10年〜20年かけて今の地位を獲得しました。でも資源は限られています。
   環境問題も真剣に考えなければなりません。ですから、必要最小限度の資源輸出をこれからはしていきます。
   中国は「安い」という既成概念が世界の需要家が保有しているうちに、
   希土類は「今の相場が当然の相場である」と人間を慣れさせ、
   他の代替品に移らないようにしている、とも考えられます。
   マグネも3,000$/mtとなっても、それが1年続けば、「慣れます」。
   5-6年前は1,500$/mtだったことなど人間は「忘れます」。
   中国が覇権を握っていれば、ロシアもイスラエルも「相場は高い方がいい」わけですから、それに追随します。
   相場は、「慣れれば」どんな相場も、おかしな相場とは言えません。
   ガソリンが200円/Lになっても、銅が200万円になっても、慣れればそれが正当な「相場」です。
   
   2007年8月8日



   商売の本質と商社マンの勘違い
   商社は商売していかなければ、維持していけません。
   いや、人間は何らかの商業活動をしなければ生きていけませんが(芸術家などは特殊です)、
   しばしば、商売するにあたり、商社マンは「世界を股にかけたい」「自分の理想とする商売を構築したい」、
   との大きな夢をもって、働きます。
   が、しかし、本当の商売の現実は、
   「商売は決して自分の思うことが実現することはない。お客様が思うことが実現する」のであります。
   何のことを言っているかというと、例えば、ある商品を100円で1個「売りたい」と商社マンが思ったとします。
   さあ、売るぞ!とどんなに意気込んでも、お客様が「買いたい」と思わなければ、絶対商売は成立しません。
   つまり、売りたいと思っただけの段階では、それは商売ではなく、自分勝手な単なる思い込みでしかありません。
   ですから、商売の真髄は、「商売とは自分の思うことを実現することではない。
   お客様に、買いたいという気持ちを、起こしてもらうことが商売である」となります。
   商社マンは、その点で、大いなる勘違いをしている人が多いです。
   自分は頭がいい、この商品は最高である、企画力も最高、だから必ず売れると、
   自信過剰な連中が多く、その効能を得々とお客様に述べる輩が多いですが、
   それで全く反応がないとなると、「なぜ理解してくれないのだろう。あいつら(お客様)が悪いのだ」と、
   全く商売の本質を知ることなく、いたずらに日常を過ごしています。
   そのときのお客様は、「こいつ、何をいったい言いたいのか?我々のニーズを分かっているのか」
   と思っているだけで、決して買いたいと思わないです。
   商売、商業活動は、常に「お客様が買いたいと思わせるにはどうしたらいいか」ですが、
   買いたいという心は、言い換えれば「納得した」「これが欲しい」「魅力的だ」「信頼できる」
   「心を動かされた」などの、様々なお客様の感情の総合体です。
   カッコいい言葉で言えば、商売とは、「お客様が幸せになるようにすること」であります。
   これがすなわち、商売の極意でないでしょうか。
   自分が幸せになることが商売ではありません。
   お客様が幸せになる「結果」として、自分が幸せになれるに過ぎないのです。
   世間で言う、「お客様は神様です」「顧客第一主義」は、建前では決してありません。
   顧客がここから買いたいと思う心が、商売の「最終意思、最終能動行為」ですので、
   「顧客第一主義」は当たり前で、それはイコール商売の最終帰結です。
   
   2007年8月3日



   商売は自転車を漕ぐが如しである
   自転車を漕ぐとき、特に坂道では、ギアが非常に重く「たくさんの力」をかけないと動き出しません。
   そしてゆっくりと動き始めます。最初はヨロヨロと動き、油断していると安定せず、倒れたり、
   止まったりしてしまいます。ギアがlowからセカンドに入ると、少し楽になりますが、まだ油断できません。
   やっと20〜30kmのスピードで快走して、初めて「心地よさ」を感じます。
   森の中の小道を、そよ風を受けながら走ると爽快感があります。
   でも、多少ときどき力を入れて漕がなければなりません。でも楽です。
   下り坂は自転車は勝手に走ります。今度はブレーキが必要です。ほっておけば暴走して危険です。
   漕がなくても大丈夫ですが注意が必要です。さあ、どうでしょう。まるで商売と同じでしょう。
   最初の漕ぎ始めは「新規開拓」です。
   最大限のエネルギーを営業に費やさなければ、お客様は感動してくれませんし、商売してくれません。
   とにかく自分の能力目一杯で取り組む必要あります。100%です。
   で、初商売にこぎつけても、油断はできません。まだヨロヨロの段階で、お客様の信頼も得られていません。
   引き続き頑張らなければなりません。80%の力です。
   そしてやっと、「安定商売」となります。
   心地よい商売関係、買い手と売り手の信頼関係が築ければ、商売の喜びも感じられます。
   でも漕ぎ続けなければなりません。50%の力です。力みすぎてもいけません。
   下り坂は「油断」してはなりません。漕がなくても商売は出来ていますが、これは自分の力ではありません。
   歴代の諸先輩の、漕いだ歴史があるから、商売が出来ているのです。
   ハンドルとブレーキを、しっかり意識していなければ、「暴走」してしまいます。
   すなわち商売がなくなる危険性を孕んでいます。
   自転車は漕いで走っているから「安定」しているのです。
   お客様には常にコンタクトをして、ニーズを聞いて、的確に対処することが商社マンの努めです。
   商社マンはロードレースの自転車漕ぎです。
   
   2007年8月1日



   商売人とは皿回し曲芸師の如くである
   商社生活も、27年もやっていると、商売人はどうあるべきかとか、つらつらと考えます。
   ある日、15年ほど前、テレビで皿回しの曲芸師の芸を見ていたら、
   30くらい棒を舞台のはじから端まで立てて並べて、ひとつひとつ皿を廻し、
   最終的には全部落とさずに30皿を廻すのをみていましたら、「あ!これは当に商売と同じだ」と思いました。
   まるで客先が30社ある営業マンと同じです。皿はお客様です。
   大きい皿もあれば、中心が安定しない皿もあり、小さい皿もあれば、廻したての皿、
   ずっと廻っている皿イロイロです。
   商売には大抵「安定客先」「大口客先」「小口客先」「スポット客先」「新規開拓客先」と色々です。
   その全てがどれも重要なお客様ですが、しばしば大口客先とか、安定客先ばかりを大事にして、
   新規、小口、スポットをないがしろにする傾向が特に大手商社の営業マンには見受けられます。
   三井物産時代でも、大口や安定商権を大事にし、積極的に新規のお客様に出向かない営業マンもいました。
   大口は出世に関係したり、安定商権先は自分を大事にしてくれますが、
   新規客先は時に、「罵声を浴びせられたり」「無視されたり」します。
   でもそれをしないと(つまりコンタクトしつづけないと)
   その客先も将来、大口客先になるかもしれないのに、自らそのチャンスを捨てることとなります。
   皿(客先)が30あると、一日1社訪問したとしても1ヶ月かかります。
   電話も5〜10社毎日しても、話す機会は客先担当と4、5日に一度です。
   もしほっぽらかしたら、2ヶ月電話しない可能性あります。
   人間の心は「生き物」です。変化します。無常です。昨日の客先の心は今日違います。
   皿は「定期的に」廻さなければ、曲芸師は皿を落としてしまいます。
   営業マンは客先を失います。新規を逃します。
   迅速さ(皿を廻す勢い)、、periodical contact(定期的に廻すこと)、が客商売には必要です。
   新規客先ほど頻繁に訪問し、皿を安定させなければならないと思います。
   
   2007年8月1日