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Help Your Imagination!

第6章  時事問題に思う






   インターネットは 医療革新に繋がる
   今年2016年は申年、僕は5回目の申年を迎え、還暦となります。
   零細企業を、何とか20年倒産せずに維持し、頑張り続けた結果、
   体のあちこちにガタが来ている様で、人間ドックでの、数値での異常個所が多くなりました。
   中性脂肪や尿酸値は、もともと35年前から高いので、気にも留めなかったですが、
   さすがに、気になる数値に対しては、改善しなければ・・・と心を入れ替えております。
   同じような境遇の人たちは、どうしているだろうと、今まで見向きもしなかった、
   健康情報満載のインターネットを、ここ10日ほど調べましたが、
   驚くべき情報量と、ある意味正確さに、驚嘆しました。
   今までは、インターネットの健康情報なんて、宣伝目的か、自己満足か、
   はたまた祈祷師よろしく、怪しげな効果を、自慢げに披露しているか・・・
   どうせ、ろくでもない情報だろうと、バカにしていましたが、大きな間違いでした。
   むしろ、現代医学の非常識や、医学界の旧態依然とした体制が、浮き彫りになったように思います。
   インターネットの健康情報、治療情報は、いわば「豊富な治験者の実体験」の洪水なのです。
   人体実験のN数が無限に存在している、と言い換えてもいいでしょう。
   勿論、宣伝目的かな〜〜というものもありますし、怪しげな祈祷師療法なども散見されますが、
   90%以上は、自分の体の人体実験に基づく、治験者報告です。
   つい、10〜20年前は、医者のコメントが絶対でした。
   他に比較する情報もなく、(かろうじてセカンドオピニオンとして、
   もう一人の医者の見解を、聞くことを許容する・・・ 程度)盲目的にその診断を信じて、
   多くの患者がますます病状を悪くして、あるいは、人間モルモット化していたのが実情でしょう。
   で・・・何を言いたいかというと、
   僕の異常数値は、「免疫の異常反応」ですが、過去であれば、
   例えば、「アトピーですね〜。症状を抑えましょう〜。ステロイドですね〜。」
   糖尿病なら、「インシュリン注射ですね〜。血行わるくなりましたね〜。
   心臓バイパス手術しましょう。腎臓透析しましょう〜。壊死かな〜。じゃ足切りましょう。」
   という、「対症療法」だけですね。
   今、インターネットで盛んな議論は、「なぜ病気になったのか」「根治するにはどうしたらいいか」
   という方法論が満載です。
   多くの結論は、やはり・・・  
   医食同源であり、病は100%生活習慣である・・でした。
   改めて、日頃の不摂生、ストレスを、しみじみ反省しているところです。
   皆さん、お暇なら、リーキーガット症候群、副腎疲労、カンジタ症・・・
   この三つを勉強してみてください。全ては生活習慣です。
   ご自愛ください。

   2016年1月21日 



   「事あれ主義」の勧め、事なかれ主義・責任の不在
   原発事故の危機管理能力の欠如を、昨年3月16日、つまり大震災の5日後に書いたのであるが、
   今改めて読み返し、わずか5日後の指摘が、1年経過しようとしている今も、
   2012年2月20日でも、未だに続いている現状に、呆れるばかりであるが、
   この驚くべき責任の不在の、日本人全体に内在する、「心の闇、心の病み」を思考してみたいと思う。
   この大事故、原発の暴発は、以後数十年、いや100年以上、国民を苦しめることとなるわけであるが、
   そのような事態に直面し、茫然自失としているだけでは、何の解決にもならないわけであるが・・・
   では、驚くべき責任の不在は、どうして起こるか。
   責任は、決断・実行する人間の行為に、必然的についてくるはずであるが・・・
   日本人の思考特性からアプローチしてみよう。
   (1)まず、先例を探す特性、前例主義が大好きである。
   前例主義は、実は、無責任主義に類似している。
   「誰か先人がやって、成功したことを取り入れる」「西欧で主流となった技術を取り入れる」
   誰かが成功したことを取り入れるだけであるから、導入者は導入しただけであり、
   導入は、意志というよりは慣習(すなわち決断の不在ー責任の不在)、
   もし失敗しても、それは最初の先人・西欧が悪い、自分は客観的存在と唱える。
   つまりは、決断していないのであるから、責任はない。
   (2)結果非想定主義、結果全肯定主義。
   失敗することを想定しない、想定したくない。
   したがって、失敗しないのであるから、責任の所在を明確にする必要ない。
   原発開発者や原子力安全委員会の言う、「想定外」に象徴されるように、
   成功することのみ想定したい、津波が20mあるような失敗の可能性や、
   全電源喪失という、失敗の可能性は想定したくない。
   想定してない(したくない)が、実際に起こってしまったので、想定外だから、自分は責任ない。
   世間で言う「不可抗力」と言う論理。
   (3)そもそも責任がある意識がない。
   権力の行使、権力の所持には、日本人も人一倍執着あるが、
   権力には、非常なる責任が伴う、という意識そのものがない。
   会社の社長は、お金をもらい、社会的尊敬を受ける権利はあるが、
   いざ損失を、株主・会社自体に与えても、それは経営責任でなく、社会情勢のせいである。
   従い、無念の退任をする(これは責任を取ることではないと思うが)事以外は、
   何の行為もする必要はない。
   大きく分けると、上記思考の塊が、日本人の特性である。
   これを、政治・国家のレヴェルから、日本経済あるいは、わが業界の商社マンにもあてはめると、
   同じような無責任主義は、順調な経済成長時には、問題は表面化しないが、
   危機や正念場では、非常な問題を抱えることとなる。
   (1)主力産業が停滞し、新規産業イノベーションが、今求められているが、
   斯様に新規産業の開発は、日本人には向いていない。
   前例主義が一番好きなので、新規産業なんて、誰も今までやったことないので、
   どうやってよいか判らない。
   そんな産業ニーズが、将来の人類に起こるとは思えない、思考停止したい。
   個々の会社レヴェルでの、新規事業・新規客先開発の局面でも、
   今まで、誰も社内でそのようなことをやったことがない、どうやっていいか判らない。
   自分が判断し、実行しなければならない、それには責任が伴う、
   だから嫌だ、というような思考回路が特質。
   (2)結果全肯定主義にては、失敗を全く想定していないので、
   日本経済においては、成功体験に拘泥(こうでい)し、打つ手が遅れる。
   個々の会社レヴェルでは、例えばクレーム発生したとき、
   すなわち、危機の状況には、担当はクレームを想定していないので、担当は責任取る自覚が欠如して、
   且つ前例主義で、商売を客観的に受け継いだ(上記での導入しただけ)なので、
   自分はその商売を「決断」していないので、従い、責任を取る覚悟ない。
   だから、解決策など想定していない、という思考回路が、蔓延していることとなる。
   日本民族の意識構造は、では悪いか・・・というと、
   もう一つの特性、「諦観(ていかん)」(全てをあるがままに受け入れる能力と言い換えてもいいが)
   によって、奇妙なバランスが取れている。
   無責任体制ーー危機を非想定ーーまさかの危機発生ーー対策の欠如ーー決断の欠如により、
   事態はどんどん悪化するが、悪化の先には、諦観する国民がいるので、
   国家破壊にはならないで済むような国家体質がある。
   諦観により、その事態を受容し、その受容からすこしずつまた、好循環を取り戻す特性も、
   また日本人の特質である。
   戦後の復興は、その象徴であり、経済が破綻しても、恐らく、
   ギリシャのような暴動も起こらなければ、失業率の上昇、貧困が進んでも、
   それを諦観し、「あるがままに受け入れ」無批判的に前へ進む、
   ある意味、力強い国民でもあるかも知れない。
   ただ、このように、繁栄を謳歌した国民が、もう一度どん底から、諦観して這い上がる、
   というプロセスの前に、前例主義を捨て、決断できる(すなわち責任取れる)国民が、
   「結果100%成功想定」を捨て、危機管理能力を身につけたら、
   どんなにか、将来明るい国家になるであろう、とは容易に想像がつくが・・・
   
   2012年2月20日 



   肚の人再考
   日本人の人格を誇りに思ったと書いたばかりですが、
   他方、今一度『日本人であることを誇りに思う』で書いた、「人間の力量」についても、
   福島原発の東京電力の対応を見るにつけ、トップの決断、危機管理能力の欠如も、
   他面の日本人の側面とも感じています。
   福島原発が緊急停止したときに、最善の策は、「覚悟を決めて」原発の全面破棄を決断していれば、
   現在の事態は防げたとのコメントも、「原発建設関係担当者」のコメントとして掲載されていました。
   緊急停止の後、事態の深刻さを即断し、破棄を決断さえしていれば、
   「圧力を減圧し」「ホウ酸を大量投入」する荒療治ができたそうですが、
   破棄せず、何とか再開することを優先努力したために、このような深刻な事態になったそうです。
   つまりは、「何とか現状のまま、怒られないで(国民に)済まそう」
   「電力足りないことで批判を浴びることは嫌だ」との、事なかれ主義、減点主義が、
   トップの意志と見ました。
   冷静さ・秩序を重んじる美徳と共に、他方、悪い意味での協調主義、責任回避が、
   時には、決定的なダメージを与えてしまう、典型的事例でしょう。
   自らの保身、最悪を回避するために己を犠牲にする覚悟の欠如は、 
   その人たちに、運命を任せた大多数の国民が、不幸を背負ってしまう結果となりました。
   先日、NHKのスペシャルドキュメントで、「日本はなぜ戦争に突き進んでしまったか」
   の中でも、官僚機構の意志決定メカニズムが、やはり「責任回避」「縄張り意識」
   「先送り主義」であったが故の、戦争突入と位置づけられていました。
   我々は、究極の場面では、人生をかけ、時には生命をかけても、
   決断しなければならない瞬間があるわけです。首相や社長が輪番制で良い筈はありません。
   我々は、真の、覚悟ある「肚の人」をトップに据える、
   しっかりした目をもっていなければなりませんね。
   
   2011年3月16日



   日本人であることを誇りに思う
   時間の有限性を書いた翌日、東日本は未曾有の大災害に見舞われました
   色々「人間とは何か」について書いてきましたが、
   日本人は きっとこの難局をしっかりとした心構えで乗り切れると信じています。
   世界45カ国以上訪問し、色々な国の政治・経済・文化・人間性に触れてきましたが
   日本人は 世界でも最高峰の 「人格」を有する 誇れる民族と思います。
   まず、これだけの大災害でも 「秩序」が保たれていること自体が、世界から尊敬されるでしょう。
   低レヴェルの国民なら もう暴動・略奪が各地で起こっています。
   スーパー・コンビニは 破壊されているでしょう。
   それに 加え「冷静さ」です。 しっかりと「今ここ」の現実を認識し、ある種の自我を
   抑える 大人が多数存在していることです。
   これも世界の非常識な 一般レヴェルの国家からみれば、尊敬に値します。
   自我・エゴ、欲望の権化的人間 に支配されては
   人間が人間たる崇高さが ないと 述べてきましたが、日本人は 疑いなく崇高な民族でしょう。
   人生の尊さ、プロ意識、「大人とは何か」「欲望の果てにあるもの」、情と理、
   私は 今の日本では失われていたのでないかと危惧しておりましたが、
   単に本来の日本人が皆持っていたものを単に「忘れていた」だけだったと思います。
   日本人には「生まれながらに仏性あり」でした。
   日本人であることを 誇りに思いましょう。今回皆さんは 日本人であることの
   すばらしさに気づいたと思っています
   
   2011年3月14日 



   人間のやっていることは欲の葛藤の産物である・酒井法子に思う
   酒井法子と押尾学が、相次いで覚せい剤で逮捕されました。
   人間がやっていることは、日常生活・仕事・余暇等々、行為として分析すれば、
   数万種類の「行為」をしているのですが、それを突き詰めていくと、3種類に分類されるそうです。
   (1)好きなこと・気に入ったこと
   (2)やるべきこと・生きるために必要なこと
   (3)惰性でやっていること・マンネリでやっていること
   だそうです。
   でも人々は、それを明確に意識することなく、数万種類の「行為」を行っています。
   その行為の選択は、全て人間の欲と、その対立する葛藤から、行為に結びついています。
   これはどういうことかというと、
   人間は、本当は、全ての行為の前に、「感情の動き」が0.001秒必ず存在しています。
   一度、自分の行為をした後に、その「感情の動き」を、自分で観察してみてください。
   人間は本質的に、(1)ばかりをやって生活していきたいのですが、
   つまり、自分の欲を100%満たされる生活ですが、(1)ばかりやっていると、
   生活が成り立たないので、感情・欲を理性で抑制し、(2)や(3)を行っているのです。
   そこには、内面の自分の感情の選択が起こっています。
   例を挙げましょう。
   ある人が有名大学合格を目指しているとします。
   その人の感情は、「大学に合格したい」という欲が、強く存在します。
   でも、大学に合格するためには、猛勉強をしなければなりません。
   猛勉強は、本来、人間として「サボりたい」という欲に、相反するものです。
   最大の理想は、両方の欲を満たす、「勉強しないで大学に合格すること」ですが、
   それはあり得ないので(それを判断する理性は人間は持っていますから)、
   人間は、常に内面で、「合格したい」という欲と、「サボりたい」という欲の葛藤があり、
   まじめに人生を考えている人は、「合格したい」という欲が、サボりたいという欲に勝り、
   猛勉強という、「やるべきこと」を選択しています。
   で、怠ける誘惑に負けてしまう人は、結果として不十分な勉強しかできずに、大学受験に失敗します。
   太っている人は、「痩せたい」という欲と、「おいしいものを食べたい」という欲の葛藤に、
   いつもさらされています。でも大抵の人間は失敗します。
   なぜなら、「食べたい」という欲は、人間の三大欲(食欲・性欲・睡眠欲)で、
   非常に強い欲だからです。
   人間の最大の欲は「生存欲」です。その次に、上記三大欲があります。
   三大欲を克服することが出来るのに、最も簡単なのは、「生存欲」が危険にさらされたときです。
   糖尿病になった人が、食欲を制御できるのは、糖尿病が進行すると、「死」が待っているからです。
   肺がんになった人は、タバコを容易に止められます。
   肝臓が冒された人は、酒を断つことができます。
   それはなぜかと言うと、「死にたくない」という、人間の最大の欲が支配するからです。
   酒井法子は、麻薬に溺れてしまいました。
   麻薬をなぜするかというと(私は分かりませんが)、「何ともいえない享楽の快感の境地」を、
   手軽に味わえるのでしょう。
   人間として、「快感」を味わうという、最高の(1)です。最大の欲求です。
   他方、では酒井法子は、他の(2)や(3)はなかったのでしょうか。
   麻薬は身体を滅ぼす、人生を台無しにする、捕まれば社会的地位を失う、
   という理性は絶対にあったはずです。
   つまり、「自分の人生を幸せに送りたい」という欲も、存在していたはずです。
   酒井法子の心の奥底には、「麻薬」という欲と、
   「幸せな人生」という欲の葛藤があったはずですが、理性が働かずに、
   麻薬という巨大な欲に、「幸せな人生」という欲が、負けてしまったということでしょう。
   酒井法子は、逮捕後手記で、「私は精神的に弱かった」と述べています。
   すなわち、人間の行為の本質である、「欲の葛藤」で、自分が自分に負けてしまった、
   と自白しているのでしょう。
   人間の最大の欲は、「生存欲」で、次に「食欲・性欲・睡眠欲」の三大欲、
   麻薬は、三大欲に匹敵するほど、強い誘惑なのでしょう。
   でも、結果的にそれは、「生存欲」を脅かすほど、怖い存在であるわけですが、
   それに気がついても、どうにもならないほど脳が侵され、生死を考えられないほど、
   依存させられるからこそ、社会が排除すべき物質と、定義されているのでしょう。
   つまり、最後の自制である、「生存欲」コントロールも効かない物質だからです。
   皆さんも一度、自分の内面を観察してみてください。
   「本当の自分の欲は、何ですか?」と・・・・
   
   2009年9月7日



   マイケルジャクソンと小室哲哉
   商売雑感のところにすでに小室哲哉に関して書きましたが、
   先週マイケルジャクソンという才能がこの世を去りました。
   小室哲哉も音楽の才能に恵まれ、マイケルも同様で、ともに巨万の富を手にした人物で、
   最後は、借金まみれになったことも共通です。
   音楽の才能、非凡さへの賞賛は多くの方々同様、上島も同感していますが、
   ここでは、「使い切れない富を一挙に手にした不幸」について書いてみます。
   人間は一生生きていくためには、最低限、いや普通の生活、いや多少の贅沢をする生活をしても、
   せいぜい5億円程度あれば十分でしょう。
   年間1千万x50年ですから・・・
   マイケルジャクソンは、数百億とも一千億とも言われる富を手に入れ、
   小室哲哉も、百億になんなんとする富を手に入れました。そして両者とも借金まみれになりました。
   人間、自分で使い切れない金を手に入れるとどうなるか。
   土地、家、車、グルメ、等々の程度では、せいぜいたかが知れています。
   自分を見失わず、理性を保つのは、一分野において非凡でも、難しかったのでしょう。
   理性が失われたのです。
   巨万の富を使えるのは、「投資」「事業」です。ですから、2人とも事業に邁進しました。
   しかしながら、事業にも才能は必要なわけで、
   2人が、事業にも、天賦の才能を備えていたわけではなかったのでしょう。
   マイケルジャクソンが、具体的に、どのような事業展開をしたかは詳細不明ですが、
   さまざまな世界の要人と交際し、ネバーランドという、家とも遊園地とも言えない、
   広大な施設を所有し、ビートルズの版権の半分を、獲得したりしていました。
   思えば、散財のための事業ともいえなくもありません。
   小室は、香港での音楽事業を画策しました。
   でも、両者の「取り巻き」は、必ずしも良い人たちではなかったようです。
   小室の散財は、追い詰められて、破滅・詐欺という犯罪に向かいました。理性が失われたわけです。
   マイケルに待ち受けていたのは、「失望」です。
   マイケルは、悪い取り巻きに失望し、精神が追い詰められて、
   純粋な子供たちと、麻薬・鎮痛剤に向かいました。
   そして、それが文字通り、命取りとなりました。
   「使い切れない」お金は、精神の安定には非常に有害でしょう。
   己を律しなければ、犯罪や自己破滅をしてしまいます。
   あるいは、狂気に満ちた拡大事業意欲で満たすか・・
   鉄鋼王カーネギーも、巨万の富をもてあまし、精神の安定を欠きました。
   晩年、カーネギー財団を設立し、慈善事業で、富を社会に還元することで、正気に戻りました。
   ビルゲイツも、それに気づいて引退し、ゲイツ財団で社会還元を、これからしていくのでしょう。
   「使い切れない」とは、人の一生は限界があるからです。墓に金は持っていけません。
   マイケルの意匠権、版権は、遺族の血みどろの戦いの材料となるでしょう。
   人間の悲しいサガです。
   ー天才マイケルジャクソンに合掌ー。
   
   2009年6月30日



   小室哲哉と中国マグネ工場
   最近の出来事として、小室哲哉の逮捕という事件がありました。
   1990年代の絶頂期、日本の高額納税者番付で全国4位を続け、
   銀行預金は100億円を超えるといわれた「神様」が、100億円を使い果たし、
   10数億円の負債を抱え、5億円の詐欺容疑で逮捕されたのです。
   私は、人間の果てしない欲、あるいは虚無感、目的の喪失への恐怖を感じました。
   このような例は、枚挙に暇がないですが、古くは千昌夫、尾崎将司、村上ファンド、
   ライブドア堀江貴文など、頂点を極めた、あるいは極めようとした人物ほど、記憶に残ります。
   同時に、昨今のマグネシウム工場、アルミニウム工場への中国での過剰投資も、犯罪性はないが、
   人間の欲望の限りなさ、達成感の喪失への恐怖という意味では共通のものを感じました。
   世界需要が、せいぜい60万〜70万トンなのに、気づいてみたら、計画を含め400万トン以上の、
   設備投資がなされるという、驚愕の事態も、無限の欲、達成感への、渇望がなせる業です。
   中国のマグネシウム工場も、ここ1年は、特に莫大な利益を得ました。
   絶頂期の小室哲哉と同じです。
   1995年の小室哲哉のインタビューでは、「得たいものはもうない」とか、
   「今幸せですか?」との問いに、「このままの状態が続けば・・」と回答していました。
   でも、「このままの状態」は続きませんでした。
   音楽の才能の枯渇も、あったかも知れませんが、香港への投資で70億損失したのは、
   音楽の才能の枯渇が原因でなく、「達成感の喪失への恐怖」から、
   無限の成長への夢に走ったとみます。
   人間は、「そこそこで満足」が、なかなかできない動物です。
   従い、資本主義においては、大成功まで突っ走って死ぬか(これはごく一部)、
   達成感の喪失の恐怖のため、無限の拡大主義に走って、
   最終的には転落してしまうか(これが大多数)、のどちらかでしょう。
   小室哲哉は、後者であったのですし、これからのマグネシウム中国工場も、
   大多数が後者となるわけです。
   人間は、成功体験を忘れられず、永遠の成功を求めて、ひたすら突っ走るサガにあるとも言えます。
   タックとしては、今後、どの中国工場が生き残るか、
   5年程度、慎重に観察していかなければならないと思っています。
   
   2008年11月5日